2016年2月21日日曜日

民官企業人と教育者の違い

SNSで、大学で講師を務める友達が悩みを吐露していた。
学生たちの手応えがない、注意しても聞かない、質が悪いから伝わらない、など。
もちろん本人も人のせいにしてもいられないので自分なりの解決をしようとがんばっている。
 それに対して友達もたくさんコメントしてて、「がんばって」「好いてくれる学生もいるから大丈夫」「悔しいよね」など。
僕もコメントしようと思ったけど、ある言葉を思い出し、直接のコメントはしなかった。

「学者智者にあらず、智者学者にあらず」

僕の好きな孔子の言葉。
学識を持った者が常識のある者ではない。その反対も然り。

僕は民間企業の人間だけど、一時期教育団体に勤めたときにこの言葉を痛烈に感じさせられた。
一般社会で通じる常識が学識関係者に通じない。これは仕事を進めていく上で大きな足かせになりました。
友達はきっと僕の言うことはわかってくれるだろうけど、コメントするたくさんの人たちを考えると反発を招きかねないし、控えることにしたわけです。

教育に携わる人のほとんどは、大学を出てそのまま「先生」と呼ばれます。
そのため社会に出てすぐに人を評価する人間になってしまいます。
「先生」と呼ばれるステータスも突然与えられるため、どうしても上から目線にもなりがちです。
こういったことは、教育現場だけでなく、医者や弁護士などもそうです。

学校現場では「先生」というステータス故に、すべてを生徒のせいにしてしまう傾向があるのです。
授業が進まない、人の話を聞かないなど、それが「あの生徒は・・・」「あのクラスは・・・」という論法になってしまい、自分の教育にはなんの疑問も思わない人が多い。

このことを民間企業に照らし合わせてみましょう。
民間企業はモノを売るのが基本的な仕事です。
商品がまったく売れないのを消費者のせいにするでしょうか。
消費者がその商品を買わないのは、魅力がないからです。
すると企業は魅力のある商品にするべく努力します。そして消費者の目をこちらに向けようと努力するわけです。
民間企業でよく使われる「カイゼン」です。
「売れない」というのは、消費者が下した評価でもあるのです。
教育現場でも学生の態度は先生の評価となるのではないでしょうか。
授業を聞かない生徒も、家に帰ればおもしろいテレビ番組は見ます。
学校をテレビ番組に例えたら、授業ごとの態度は視聴率と一緒です。

学生を評価することも大切ですが、その前に自分の教え方はどうなのか、自分自身はどう見られてるのか、振り返ることも大切だと思います。

友達もきっとそこに気づいてくれるでしょう。
がんばれ。

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