2015年9月30日水曜日

すべては好奇心と探究心

今日、会社の若い女の子に「なんでそんなに物知りなんですか?」と言われた。

別に勉強も好きではないし、一つのことをとことん突き詰めるタイプでもない。
ただ、自分の持つ物や興味を持ったものは深く掘り下げて調べる癖があります。

何か買いたいと思った時、あなたはどんな基準で商品を選びますか?
値段?
デザイン?
口コミ?
人からのすすめ?

それは人それぞれだと思います。
僕の場合はデザインもそうですが、そのものの持つ意味というか、その商品に仕上がった経緯がとても重要になります。

たとえばギター。
僕の所有するギターはほとんど昔から受け継がれてる伝統的な形たデザインで、アコギについては60年代のものが多い。
伝統的なデザインや形には長く続いてきた理由が必ずあって、多くのアーティストたちがそれを使って素晴らしい曲を世に出してきたのです。
そして60年代という、材を贅沢に使った時代。
現代は価格を抑えるための企業努力が欠かせず、ギターの材も昔ほど贅沢には使えません。そこに音の違いが出てきてしまいます。
こうしたバックグラウンドをしっかりと持った物が好きなので、調べていくうちに色々と知ることになるわけです。

疑問に思ったこともそうです。
ネットなどで調べますが、それだけに留まらず関連することも深く調べたりします。
こんな物が流行ってるの?
どこが作ってるの?
なんで作ったの?
その原理は?
調べ始めると止まらなくなります(笑)

ADHDの特徴なのかもしれませんが、僕はそんな風にいつも物事を判断しています。

知ることは楽しいし、人生も豊かにしてくれます。

2015年9月29日火曜日

老い?衰え?それが問題じゃない

生まれて初めて老眼鏡なるものを買いました。
お店では恥ずかしくないようにの配慮か「Reading Glass」となってましたが、要は老眼鏡です。

今年の初夏頃から近くの物が見えづらくなってました。
そしてあれよあれよと進行し、ついに30cm離さないと見えない状態に。
さすがに生活に支障を来してきたので意を決して購入というわけです。

自分ではまだまだ若いと思ってました。
それはきっとこれからもそう思うのでしょうが、体は着実に衰え始めてます。

それを悲観するつもりはなく、ただ、若ぶるのはやめようと思ったわけです。
それでもここ最近はあまり無理して若ぶったりするのはやめてました。
年相応に生きよう、無理せず、今の自分に正直に。
そう思いながら毎日を過ごしています。

さすがに20代とも話がかみ合わなくなりました。
わざわざ合わせようとも思いませんが、老いたことを悲観してるわけでもありません。
今が一番楽しいからです。
20代の時も、30代の時も「今が一番楽しい」と言ってました。
きっと今を精一杯楽しむということは変わってないようです。

ならば10年先も20年先も「今が一番楽しい」と言える生き方をすればいい。
それが自分らしいことなんだろうなと思います。

さてさて、老眼鏡。すごいですね。
当たり前ですが近くがよく見えます!
いやあ、びっくりです。
ただいちいち外さないといけないのがめんどくさいですが、目の悪い人の気持ちがよくわかりました。

それにしても老眼の進行って、こんなに急なんですかね?
もしかしたらこのまま見えなくなるとか!?

それはそれで僕の人生だ、悲観することもないでしょう。
自分はそんなに長生きしないと思っていたのにここまで生きてるんだし、もう生きてるだけで丸儲けでしょう。

明日もまた、楽しく生きよう。

2015年9月27日日曜日

iphone6Sを検討する理由

まあ5Sの分割もまだ残ってるし、すぐに買い換えられる状況ではないので、ゆっくり検討しています。
ADHDはこういった買い物も衝動的に買いたくなることがあるので、買い換えられない状況があることはありがたいことです。

なにはともあれ、なぜ僕がiPhone6Sを検討しているのか?
iPhone6の時はまったく買いたいと思いませんでした。
6Sは性能こそ向上しているものの、形やサイズは6とほぼ同じです。
ではなぜ今回買い換えようと思うのか?

一番の理由は「老眼」の進行です(笑)
いや、笑ってる場合じゃない。本当に深刻です。
目の前25cm以内では文字が判読できなくなりました。
2ヶ月前は20cmでした。
これに伴い、5Sの画面サイズでは文字が読みづらくなたのです。
これまで目は抜群によかったので、この違和感は半端ない。
この鮮明な世界はずっと続くと思っていました。

iPhone6になって、なにが嫌だったかというと、大きくなった画面のサイズなんです。
今はそれを欲しています(^^;

本当に近日中に老眼鏡は買いに行こうと思っています。
人によると、老眼鏡は時々しかかけないからどこかに置きっ放しにしたりして煩わしくなるので、数個用意してあちこちに置いてるそうです。
僕もそうしなきゃならないのかな。。
でもあまりデザインのよくないものは使いたくないし、一度眼鏡士さんに診てもらって、きちんとしたものを買おうと思ってます。

眼鏡フェチのみなさん、お待たせしました。
花粉の時期だけでなく、1年中僕の眼鏡姿が見られる時代がやってきましたよ(笑)

2015年9月18日金曜日

安保法案に関する個人的見解

安保法案成立に向け、国会は最終局面に差し掛かっています。
議事堂の外ではデモ隊が連日シュプレヒコールを続け、議事堂内では与党と野党の攻防が繰り広げられています。

SNSで話すと個人的に攻撃を受けそうで、なんか嫌なので、こちらに個人的見解を書きたいと思います。
それぞれがどう解釈しようが自由です。
それぞれがそれぞれの考えを持ち、それを主張することは民主国家に許された権利です。

この法案についてたくさんの意見が繰り広げられていますが、端的に言えば、僕はこれは戦争法案でもなく国民が徴兵されるための法案でもなく、あくまで抑止力のための法案と受け止めています。
日本国憲法でもそのすべての放棄を謳っています。これが覆ることはありません。
徴兵についてもその法律を政府は固持しています。
同盟国と呼ばれる国々も徴兵制度を持つ国はひとつもありません。

今回争点となっているのは集団的自衛権の行使についてです。
これについては自国民および自国の領土を著しく攻撃を受け棄権が迫ったときだけに行使されるわけで、たとえばアメリカが起こした戦争に荷担しに行くようなことはありません。
なにより集団的自衛権の行使については他国に類を見ない、非常に厳しい条件が付けられています。

今回の法案は、これまでアメリカと結んできた安全保障条約にさらなる抑止力を加える法案であり、日本に攻撃の危険が迫ったとき、同盟国が日本を守り、自衛隊がそれの後方支援を行うというものと受け止めています。

これに対し反対する団体は、「戦争法案だ」「徴兵される」と主張していますが、僕にはその根拠がまったく見えません。
法案の表面だけをなぞって歪んだ受け止め方をしてるようにしか思えないのです。
その根拠として反対派の主張が戦争と徴兵に偏り、中身の主張がまったくない。
戦争になる、徴兵される、ヤジ、フィリバスター、セクハラバリア、批判、「なるほど」と納得させる材料がなく、ただただ無駄な労力と税金と時間を費やしてるだけにしか思えないのです。
デモ隊は「民意だ」と主張しています。確かに一部の民意ではありますが、国民の総意ではない。
そして警官隊と衝突して自分たちが小さな戦争を起こしている。

デモは、昔から「小さな軍事国家」と呼ばれています。
プロパガンダによって集められた民衆が暴徒と化し、政府や警官隊と戦争を起こす。誰もが外の意見を聞かず、自分たちが正しいと思い込んでしまう。
これは実際に戦争になったとき、逆に攻撃的になる危険性を孕んでいます。

今回の与党の強行採決は確かに強引すぎるところもあるでしょう。
しかし第一次安倍内閣から審議してきたことを、野党はヤジと批判ばかりで同じ土俵に登らなかったのです。これは仕事をしてないに等しいと思います。
そして今になって委員長の入場を阻止したりフィリバスターやセクハラバリア、議事をほったらかしてデモ隊で主張、なにひとつ建設的なことをしてきませんでした。これは本当に残念なことであり、自分たちの支持を落としていることに気づくべきです。

民主国家の王道は、投票をすることです。
デモや批判、ヤジ、引き延ばし作戦は単に時間を延ばし無駄に費やすだけです。
戦争反対を叫ぶなら自分たちが戦争を起こさないこと、
民主主義を叫ぶなら投票で民意を問うこと、
それが大切だと思います。

まだまだ意見はありますが、取り留めがなくなるしこの辺で。
僕はこのように思うのです。

2015年9月16日水曜日

iPhone6S、悩むところです

間も無く発売されるiPhone6S。
5Sを使っていますが、悩むところです。。

まだ分割が4回残っているので、買い換えるなら年明けとなり、まだ検討時間はあります。

どこが悩むのかというと、画面の大きさです。
操作性などを考えると、5Sの4インチというサイズは片手で扱うのにぴったりなのです。
6Sの4.7インチでも指の届かないところが出てきます。大きすぎです。
当初4インチも出ると噂されていたので期待していたのですが、出てこなかった。
Plusはもう論外です。

う〜ん、悩む…
でもこの先もこのサイズになっていくんだろうな。
5Sの直線的なデザインも好きだったし。

ちなみに6Sならスペースグレイですね。
この画面エッジには黒が絶対かっこいい。

2015年9月15日火曜日

安保法案反対のデモに参加している若者へ

安保デモが目に余る状態になってきた。

僕は反対派でも賛成派でもないけれど、目に余る。

デモに参加している若者へ。
思想を掲げるのはこの国の自由です。
しかし、警察や機動隊はあなたたちの敵ではない。
市民の血税を投じて、あなたたちの安全を確保しているのです。
つかみあってどうする?
自分たちが暴徒化してどうするんだ。
戦争反対じゃなかったのか?

あなたたちは明らかに今、戦争を起こしている。
民主主義を掲げて強引に押し入ろうとしている。

デモが大きくなりすぎて主催者もデモを統括できなくなってる。
これは秩序の崩壊した、ただの暴徒に過ぎない。

なにがいけないのか
なにをしなくてはならないのか
法案の本質はなんなのか
しっかり今一度考えた方がいい。

いやそうじゃない、というなら、教えて欲しい。
誰が戦争を起こすと言ってるのか。
誰が徴兵すると言ってるのか。
警察が拳銃を持つ意味は、自衛隊が存在して武装している意味はなんなのか。
60年安保、70年安保のデモで一体なにが生まれ、変わったのか。

2015年9月13日日曜日

音楽を続けていくためにも

実は、ここ10日ほど、右耳が良く聞こえません。
なんというか、耳の中にティッシュを詰めているような、籠もった感じ。
原因はわかってます。

耳かきのしすぎ(笑)

耳かきがくせになってて、毎日耳かきしないと気が済まない。
あまりにもかきすぎて、中が腫れてしまったようです。
おかげでインイヤー型のイヤホンが奥まで入らない。

調べたところ、あまり耳かきしすぎるのもよくないようで、酷い腫れの時には手術にもなるそうです(怖)。。

皆様の中にも耳かきマニアはいるでしょうが、かきすぎ注意ですよ(笑)

いつまでもいい音聴けるように、耳は大切に。

2015年9月4日金曜日

模倣とインスパイア

気がつけば9月になってました。。
更新頻度が少ないですね。がんばります。

さて、五輪のエンブレム問題で揺れるデザイン業界。
今回のパクリ問題について、一部のデザイナーからは擁護の声も聞こえます。

デザインを少しでもかじった人間として言わせてもらえば、擁護しているのは少なからず仕事の関係がある仲間、報道陣から逃げている選考委員も仕事がらみの仲間です。
心理学的に裏を返して読むと、こういった人たちは少なからずパクリをしている可能性もあります。

デザインは常に新しいアイデアを欲していて、常に流行があります。
流行をうまく取り入れ、自分なりの解釈で表現するなら、それはインスパイアされたと言っていいでしょう。
しかし丸ごとエレメント(要素)を使ったり丸写しは、パロディーかパクリであり、クライアントの要求をなにも考えていないと言えます。

デザインするには、必ず理由があります。
色、形、字体、大きさ、すべてに理由があるのです。
クライアントの特徴と要求をしっかり聞き出していれば、それは自然な形で決まってきます。
後付けで理由をつけるのもあり得るでしょう。
しかしそれでは納得のいくデザインには仕上がりません。

デザインはアートでも自分の作品でもありません。
クライアントを具現化するいわば分身を受注生産するのです。
それを勘違いしているデザイナーが多いと思います。

今回の問題を起こした当人のこれまでの作品をザッと見てみました。
正直言ってどっちらかってて一貫性がありません。
つまり、そのデザイナー特有の匂いが全くない。
どこかで見たことのある匂い。
つまり誰かのデザインを常に参考にして作っていると思いました。

問題の五輪のエンブレムを見て感じたのは、東京、金銀銅、日本という要素を盛り込んだ形のようで、メッセージ性がなく、表面要素だけを集めた形に見えました。
ロゴデザインは、ひとつのメッセージがあればいい。
そのメッセージもなく、単純な表面的要素だけで作られたこのロゴは何も伝わる物がありませんでした。
それに比べ1964年の亀倉さんのロゴは素晴らしかった。

過去の作品を見てもうひとつ感じたことは、「絵の描けないデザイナーではないか」ということ。
Macとillustratorに依存しすぎで、デスクに向かってillustratorをいじりながら考えていくタイプ。
最近こんなデザイナー多いと思います。
絵を描くことは基本であり、PCは仕上げの道具です。

これだけ問題になったロゴですからもう使うことは無理です。
組織委員の会見の言葉「私たちには理解できるが、一般国民は理解してくれない」
この言葉に驚きました。
ものすごい上から目線でデザイナーが偉いとでもいうような態度。
デザイナーはあくまで下請け業者です。こうやってデザイナーがまるでアーティストかのように持ち上げるからみんな勘違いしてしまうのです。
それとデザインは一般国民に向けてのアピール要素です。
国民が理解できなければ意味はありません。
デザインは仲間内のオナニーの道具ではないのです。

今回の選考の仕組み、選考委員の顔ぶれ、デザイナーの態度には本当に憤慨しました。