2011年10月31日月曜日

消えた福島県産

仕事帰り、24時間営業のスーパーに立ち寄り、生鮮品コーナーを見ていた。
今は野菜には必ず産地名が表記されている。
パッケージも必ず「○○県産レタス」といった風に、丁寧に印刷がされている。

ひとつひとつ見ていくと、驚くことに福島県産がひとつもなかった。
まるで「福島」とつくものすべてが悪者かのように。
正直、激しい憤りを感じた。
福島県産がすべて放射能に汚染されてるのか?
岩手の県境にあと1mのところで育った物も?
じゃあ福島県境から1m外に出れば安全なものとして扱うのか?
「福島」が悪いのか?
社会が福島県産を敬遠する風潮があるのは理解できるけど、
これはやり過ぎだと思った。
きちんと検査して、安全であると証明できて、それを消費者に納得できる形で説明できれば、福島県産だって問題ないはず。
福島県産だからと言う理由だけでなんでもダメというのはおかしいと思う。

せっちゃんじゃないけど、
牛肉食いてえな。
トマト食いてえな。
キュウリ食いてえな。
米食いてえな。
福島県産も旬だというのに。

原発
政府
税金
景気
官僚
策略
利権
保身

やってらんねえな。

自分にできるエコ

消費電力を抑えるため、デスクトップタイプのMacProを売り払いMacBook Proに置き換えたのが4年くらい前。
デスクトップのパワーがビデオ編集に必要だったけど、今ではノートタイプでも十分パワーが追いついて使えるレベルにまでなった。
だからもうデスクトップを使う理由がなくなったわけです。
時代は、ジョブズが予言したようにポータブルの時代になった。
Appleも本社隣の広大な土地にソーラーファームを建設する認可が先日下りたばかり。

世界的に省エネは大きな潮流になっていますが、
日本は震災による原発事故の影響もあり、さらに電力抑制を厳しくしていかなくてはならない状況です。

部屋の照明は机に自分で設置した照明で電球を低消費電力の蛍光管電球にしてある。
使う機器だけに電源を入れ、使わない機器は小まめにシャットダウン。
エアコンはオフ。
あとはなにをするか。
電力を使う時間を短縮する。
夜更かしな僕は早く寝ることで短縮は可能だ。

夜、僕はなにをしているのか?
最近はほとんどの時間を頼まれたパンフレットやロゴの製作、キャンプDVDの仕上げに費やしている。
それ以外の時間はほとんどギターを抱えている。
仕事がある程度片付けば、あとはギター弾いてる時間を減らすだけ。
減らせるのか?いや、弾きたい・・・
灯りを消して弾く?

・・てか、早く寝ろよ(笑)。

いや、話は逸れてしまったんだけど、
原発のこと、政府のこと、言いたいことは山ほどあるけれど、
とにかく一人一人がエコ活動を推進していかなくてはいけない。
一人一人ができることは限られているけど、みんながやれば大きなムーブメントになる。
誰もやらなかったら?
10000人の中で僕一人しかやらないなら、
僕は10000分の1のCO2を減らす。
僕は10000分の1の電力を減らす。
もし僕の動きで隣の人が気付いたなら、10000分の2減らすことができる。
誰かが気付くには、誰かが始めなくてはいけない。
だから僕は続ける。そのことに意味があると思う。

自分のできるエコ、小さなことでもいい、信じて続けることが大切だと思う。

何でこんなことを書いたかっていうと、
震災以来、いつも被災地のことが気になっているし、
原発事故で避難を余儀なくされた人たちのことやこれからの福島のことがいつも気になっている。
夢を見たんだ。
それは原発に新たな事故が起き、日本中の原発54基すべてがストップした夢。
東京がゴーストタウンと化し、僕は友達の手を引いて逃げまとっていた。
真っ暗な夜に手探りで落ち着ける場所を探している。
でも、いいところを見つけてもそこは放射線量が高くて、倒れている人もいる。
暗闇の中で電力会社のビルだけ灯りが煌々と灯っていて、中で社員がぬくぬくと過ごしていた。
殴り倒したくてビルに近づくんだけど、社員の前まで近づけない。
電力会社の社員が近くのコンビニに食べ物を買いに行くときに、防護服を着て買いに行く。
とにかく逃げなくちゃ。。。
僕は友達にジャケットをかぶせ、できるだけ放射性物質が付着しないようにしながら走ったり座り込んだり。

っていう感じの夢。
それでなんとなくこんなことを書いた訳です。
放射線もCO2も、これからの地球環境に大きく影響してくる問題です。
あらためて、きちんと実践しなくてはと思った。
それが将来には福島の、東北の、日本の、世界の人のために、そして地球のためになるんだと思う。

さ、というわけで今日は寝よう。

電源オフ。

2011年10月30日日曜日

パーティーから帰宅

友達の結婚パーティーから帰宅。
机の上のラムをラッパしながら、時々ギターをつま弾きながら、二人の幸せそうな顔を思い出したり、みんなとの語らいを思い出したり。

二人とももう20年来のつきあい。
それだけに二人のゴールはとってもうれしかった。
今日も酒の肴にされたけど、二人の結婚を聞いた時僕はは大泣きしてしまった。
こんなに他人の幸せを心から喜んだことなんてあっただろうか。
それくらい二人には思い入れがあったし、その二人が結ばれたことがうれしくてうれしくて仕方なかった。

もっともっと、二人とも話をしたかったし、仲間と飲み明かしたかったけど、後ろ髪引かれる思いで帰った。

会場としてお借りした友達の実家の別邸(!)も素敵だった。
築30年以上の中古物件だったというけれど、中はお父様の趣味でキレイにリフォームしてあり、バーカウンターやアップライトピアノ、ギター、アンプなどがきれいに置いてあり、すごくおしゃれな感じだった。
お父様とも趣味がギターとのことでモズライトのギターやストラトの話をし、ベンチャーズ世代ということで昔覚えたベンチャーズのリフをちょっと弾いたら一気に盛り上がった。
素敵な音楽一家だったんだな。こういうのっていいよね。
またお話ししたり、ギターを一緒に弾きたいです。お酒もちょっぴり飲みながら。

そんなことを思い出しながら、またほろ酔い気分に。
いい日だった。
みんなもう酔いつぶれて寝ちゃったかな。

いい夢を。
そしてこれから新しい夢を。

2011年10月29日土曜日

今話題のあの場所へ

友達の結婚祝いパーティになにか土産を…と思って思いついたのが、会社の近くにあるAKB48cafe。
カフェは並ぶけどショップは並ばないだろうと思ったら、整理入場(>_<)。
オタクみなさんと並ぶのはこっぴどく恥ずかしかったです。

お菓子を買い、そそくさと店外へ。
袋もでっかくピンクでAKBのロゴ。
違いますよ、違いますったら!

慌ててデイパックに押し込んだ。
まいったまいった…。

野菜ってすごいね

ここんとこ野菜中心の生活を送っていますが、
たった3日で体の調子がよくなりました。
むくみやけだるい重さもなくなり、結構すっきりすごしています。
体の中がさらっとなった感じ。
野菜って、すごいね。
心理的にも影響してて、肉を食べたいってことが一切なくなりました。
たった3日で、おなか周りがすっきりしてきて、パンパンだったTシャツが少し余裕ができましたよ(笑)。

あとはこれがどれくらい続くかだな(汗)。

コロプラを退会

携帯やスマートフォンで楽しめるゲーム、コロプラを退会しました。
コロニーも育つところまで育ってこれ以上の成長もないし、あとはイベントを位置登録で楽しむくらいなので、もういいかなと。
楽しくて毎日やってましたが、位置登録などでバッテリーも消費するしね。

またやりたくなったら再登録するよ。

ウガンダで活躍する友達

いま、友達が青年海外協力隊でウガンダに派遣されています。

おっとりしてて、車の運転さえもみんながヒヤヒヤする子。
なのに芯はしっかりしてて、自分で学校の先生向けにワークショップを開いたり、大活躍のようです。

あらためて彼女はすごいな〜と感心。
僕では到底できないようなことを、熱意をもって推し進めています。
そういうところが、彼女の魅力なんだな。

なんか誇りに思います。

大甘な巨人に侍日ハムが斬り込む

ちょっと前の話ですが、ドラフトで東海大の菅野を単独指名できると思い込んでた伯父であり巨人の監督である原氏に日ハムが名乗りを上げくじ引きで交渉権を獲得、原監督ガックシという記事がありました。

それについて日ハムがずるいとか道義的にどうかとか叩いている記事もあり、プロ野球に興味のない僕さえも「?」と思いました。

そもそもドラフト会議は一体なに?
各球団に公平に選手獲得の機会を持たせるためじゃないの?
原監督のおいだからって巨人以外は遠慮しろというような空気は絶対おかしいと思います。
はっきり言いますが、こういうことがあるから巨人も読売も嫌いです。
なんでもかんでも欲しがるのが見てて嫌になる。
昔4番枠に落合、松井、清原を掻き集めて「一体誰を4番にしたいんだ」という論争が起きたことがあります。
こういうことができちゃうのも、結局は金に物言わせるからで、プロ野球のあり方を根本から考え直した方がいいと思います。


この曲にはレスポール、あの曲にはストラトキャスター、あんな曲にはJ-45。
まあ、巨人もそんな感覚と同じなのでしょう(^_^;)。

冬の星座

夜中の1時。
バルコニーにキャンプ用のチェアを持ち出し、ラムをラッパしながら一服タイム。
仰角45度、冬の星座オリオン座がきらめいてた。
節電のせいか、ここんとこ星座がきれいに見える。

というわけでカメラを取り出しパチリ。

寒・・、もう冬の足音だね。

 

2011年10月28日金曜日

なんだなんだ?

会社に戻る途中、秋葉原ラジオ会館の前にすごい人だかり。
中は人で溢れてて外にも長蛇の列。
そして反対側の歩道ではみんなカメラを構えて上を見上げてた。
「ラジカンまつり」なるはっぴを着てる人や警備員が整理にあたっていたけど、どうやらオタクイベントらしいけど、それ以外はわからず…。

野菜生活2日目。とこれからのこと。

まだ2日目、と言われそうですが、なんとなく変化あり。
昨夜は社長と食事のためお酒飲んだり幻の手羽先食べたりしましたが、
今朝は野菜ジュース、昼は「1日の野菜1/3が摂れるミネストローネ」と野菜ジュース。
たった2日だけど、まず体のむくみが取れてきました。
野菜の繊維のせいか、腹持ちもまずまず。
朝昼合わせて300kcalほど。
・・ちーと少ないな。。
ただ、体全体の気だるい重さがなくなったのですっきりという感じです。

昨日は社長と食事の前に面談をし、来期の東京支店の体制について意見交換しました。
僕に全体を任せられれば、という方向のようですが、僕はあまり上に立つ器ではないのでこのままの方が気が楽。
まあ元々この会社に声をかけられたのが、ゆくゆくはそういう立場で、という前提の下だったので仕方ないですが。

ただ、問題も山積なのです。
来期になると営業は僕ともう一人しかいなくなってしまいます。
人手不足をどう補うか、売り上げを現状からどう広げていくか。
いきなり僕に丸ごとリリースされても困るので、サポートも必要。
本社から各部署の営業派遣、管理面と営業面の定期的なサポートなどいろいろ意見を出しました。
今の東京支店の売り方と体制、工場のキャパでは現状の売り上げが限界値に近いのです。
そのためビジネスモデルも売る商品もこれから大きな改革をしていかなくてはならないと思っています。
だからここで会社のトップにはしっかりと意見を言っておかなくてはならないのです。
そうしないと自分の首を絞めてしまうことにもなりかねないので。

任せられればそれなりに動くでしょうが、
まだ任せられる器でないと判断したときには、遠慮なく外してくれと頼みました。
自分にもできるかどうかなんてわからないし。
ただ、後ろは向いてませんよ。常に前向きですので(笑)。

前の会社と違い、チャレンジする環境と意欲はあるので。

社長からは、自分が上になったらどういう風にしていくかイメージだけはしといてくれと言われました。

いや~、どうするかな。。
パッと思いつくのはこんな感じ。
 ・元気に「おあしす」運動(笑)
 ・なんにでもまずチャレンジすること。
 ・次につながる失敗ならOK
 ・就業時間は全力で走ってみよう。
 ・仕事終わったらとっとと帰ろう
 ・仕事をちゃんとこなしていればあとは自由
 ・目的意識はしっかりと
 ・1日の間に必ず全社員と会話しよう
 ・一人で抱え込まないこと
 ・意見は上下関係関係なく遠慮なく
 ・誰かが困ったら全員で助けよう etc.
小学校の標語のようですが、とても大事なことで、環境が悪いと意識も低下します。
誰かに仕事が偏っていたり、「助けて」と言えなくなる環境では、仕事はうまくいかないし仕事を楽しめなくなります。
まずはみんなが楽しみながら仕事できる環境作りが必要。
売り上げっていうのはそういう土壌の上についてくるものです。

僕はそんなに偉そうなことはいえる立場ではないので、背中見せながら空気作るくらいしかできないですけどね。

まだ決まったことではないし、とりあえずやることやってジャッジしてもらうだけです。
人からそういう目で見てもらえるだけでもありがたいことですしね。

2011年10月27日木曜日

野菜中心の生活へ

ベジタリアンになるつもりはないのですが、
先日、数ヶ月ぶりに体重計に乗ってびっくらこいた。
なんと、体重が過去の最大値にほぼ近い数値をしめしていた。。。

この夏からTシャツがどれを着てもパンパンで、特に運動不足となったこの2年間でお腹周りがすごくやばいことになっていた。
お腹周りが突出してひどくなるのは初めて。

いやいや、これはやばいですよ。
マジでやばいす。

皇居の周りでも走ろうかと思いましたが、まずは食生活を改善しようと思いました。
毎日の食事で必ずと言っていいほどローテーションしてくるもの。
それはラーメン、牛丼、豚丼。

しばし肉を使った料理に別れを告げ、野菜中心にしたいと思います。
でも、いつ何時も野菜にしてしまうとストレスが溜まるので、
まずは一人の食事の時だけ肉を使わない料理に。
誰かと食事したりする時は自由。
最近ブームの朝食、納豆定食(納豆とご飯、そばorうどんのセット)も捨てがたいが、ここも一旦100%野菜ジュースに変更。
とにかく1日の摂取カロリーを抑制することにしました。

で、今日の朝は野菜ジュース、
昼は野菜ジュースとサラダたっぷり。
意外に腹持ちが良くて夕方まで空腹感なし。
夜は本社から社長が来ていて食事に誘われたので同行。
行った先は「世界の山ちゃん」(笑)。
宣言した先から幻の手羽先が食卓に。
社長に「ほれ、若い者はどんどん食べなさい」と言われれば食べないわけにいかない。
あの〜、そんなに若くないんですけど(笑)。
手羽先は食べましたが、あとはひたすら野菜ものを頼みました。

そして飲んだら恒例の、〆のラーメンやそばはなし。

帰りにちょっと空腹感がよみがえってきましたが、今はお茶で少し落ち着いています。
まさに、お茶で濁してます(笑)。

基本的に無理したり自分に鞭打ってやるのは好きではないので、マイペースでやってみたいと思います。

さあ、いつまで続くやら(笑)。

すすめ、怠け者。

寒!

今朝は一段と冷え込んで、手がかじかんで駅までが辛かった。

もう手袋の季節なんだな。

夏のキャンプが終わるとみんなに会う機会が一気に減ってしまう。
寒くなると、みんなのことが恋しくなるな。
みんなの温かさが心に沁みる季節だ。

酒でも飲みながらみんなで温かいものをつつきたいね。

2011年10月26日水曜日

のんびりギター

今日は早めに帰宅。
やることもあるけど、のんびりギターをつま弾く。
最近エレキばかり弾いてたけど、やっぱりアコギは落ち着く。
ここんとこJ-45と仲良くやってます(笑)。
荒っぽい、ジャキジャキした独特のギブソンサウンドはやっぱりいいね。
王道マーチンやテイラーもキラキラして素敵な音だけども、僕にはそのきれいな音をきれいに弾く腕はないし、ギブソンを荒っぽくかき鳴らす感じが僕にはしっくりくる。

今日はDVDを焼き焼きしながら「ギター」をコピー。
♪寂しいっ 時にぃはっ ギターをっ ひっこうよっ♪

進め、なまけ者よ。

というわけで「進めなまけ者」(笑)。
「かすみ草」は大好きだな〜。


あ、こんなの見つけた。。。


清志郎さん、あなたを「なにいってんだ」って言ってたやつらが、いま「なにいってんだ」って言われてますよ。

秋風が気持ちいい

一服タイム、ビルの屋上を独り占め。
秋風が気持ちいいね。

Caravanニューアルバム「黄金の道~soundtracks~」

Caravanが久しぶりにニューアルバムを出す。
「黄金の道~soundtracks~」。11/9発売。
ずっとベスト版とかばっかりだったから本当に久しぶり。
彼の日本人離れした音楽感覚、オーガニック感のある音、大好きです。

2011年10月25日火曜日

globeのKeikoがくも膜下出血で緊急手術



 音楽プロデューサー・小室哲哉(52)の妻で歌手のKEIKO(39)が24日夕方、都内病院に救急搬送されたという一部報道に対し、所属事務所のエイベックス・マネジメントが25日、病状を公表した。「くも膜下出血」と診断されたKEIKOは25日未明から5時間にわたる手術を受け、無事成功。現在は意識が戻り、1ヶ月の入院を予定している。

デビューから結婚まで・・ KEIKOのヒストリー

 同社によると、KEIKOは24日夕方、首の後部に激痛を訴え、立つこともつらい状況となったことから小室が救急車を呼び、都内病院に緊急搬送されていた。

 夫の小室は「このたびはご心配をおかけいたしまして申し訳ございません。病院関係者の皆様のご尽力のおかげで、手術も無事成功いたしました。KEIKOも精一杯頑張っておりますので、引き続き見守っていただければと思います」とコメントした。(オリコン)



===============
びっくりしました。
39歳という若さでくも膜下出血。
僕は高校生の時、同級生を同じくも膜下出血でなくしています。
同郷の人間として心配です。
お母さんもきっと心配しちょるよ。
はよ元気になってな。


あ、写真は地元の商業高校の時の写真です(笑)。
検索したらこれが一番に出て来たので。。
僕の妹も商業高校だったので、この制服でした。


くも膜下出血、働き盛りの年代に多い病気です。
僕も人ごとではないと思いました。
人間ドックもまだ一度も受けてないし、ちゃんと検査しなくちゃ。



秋の空

空が高くなってきた。
秋だね。

「虹が消えるまで」をコピー

今夜は内職はちょっとお休み。
久しぶりにアコギを出した。

今回の斉藤和義のアルバムで切なくて切なくて泣きそうな曲、「虹が消えるまで」をコピー。
心をキュッと締め付けられる切ない曲だけど、今回のアルバムの中でも大好きな曲の1曲です。




弾いてて切なくなってきた・・・




2011年10月24日月曜日

もうひと仕事

施設パンフレットの原案がほぼできあがり、先ほど送信完了。
まだまだ写真の処理やらデータ処理は残っているけど、ひとまずこちらからの第一弾リリースは完了。
HPも更新した。
あとは知人から頼まれてるロゴの修正。
それとキャンプDVDの残りの制作。

少し手が空くかな?難しいかな?
間に合うかわからないけど、もう一仕事始めてみた。
間に合わなければごめんなさい。
間に合えば思わぬサプライズなプレゼントになるかも。
がんばって作ってみるけど、間に合うかな。

とりあえず今日はおしまい。
おやすみなさい。

2011年10月23日日曜日

焼酎「知心剣」のCMで田舎の町が!

なにげにテレビを見ていてびっくりした。
突然僕の田舎の町並みが飛び込んできた。
焼酎「知心剣」のCM。


風情溢れる城下町。二王座地区の風景です。
ここはまるで小京都。
情緒溢れ、田舎に帰ると必ずここを通ります。
この坂を上り詰めると平清水(ひらそうず)にある三重の塔が見下ろせます。
これは毎年11月の第一土日に行われる竹宵の風景ですね。
吹石さんが立っている二王座の通りも、臼杵の町も、みんな竹灯籠で灯されます。
ものすごく幻想的な風景です。

知心剣のHPでは臼杵の伝統料理「きらすまめし」を紹介しています。

僕の大好きな郷土料理。
これにかぼすを絞ると最高にうまいです。
おからに魚(ブリやマグロ)をまぶした料理です。
お奨めはブリです。
ぜひお試しを。


パンフレット急ピッチ!

今日は11時頃にのそのそと起きて、おもむろにパンフレットの作業へ。
今は建物の図面部分のトレース作業を引き続きやってます。
非常に手間がかかるけど、illustratorを使う人間にとっては結構楽しい作業です。
一種のパズルのようなものです。
形通りにトレースしていくのでなく、たとえば四角形と四角形の組み合わせ、エントランスの半円の屋根は正円を描いて1/4にカットするなど、考え方では簡単にその図形を作ることができるのです。
画像の左側は完成した1F部分レイアウト、現在右側の2Fを制作中です。
間取りはできあがったので、これから文字やマークなどを新しいレイヤーに重ねていきます。
この後同じように3Fも。
illustratorなしではできない作業です。

僕の後ろでギターが「ねぇん、弾いてよぉ」と言ってますが、今は我慢我慢(笑)。
終わったらたっぷり、なめ回すように(笑)。

ひげを剃った

ひげを全部剃った。
今年、ずっとあごひげを生やし、もみあげとつながっていたんだけど、
僕はひげを抜く癖があります(笑)。
なんとなくですが緊張していたり、退屈していたりすると無意識にひげに手を伸ばし、気になるところを抜いてしまうようです。
そのためだんだんひげの生え方がまだらになってしまうのです。。

で、最近生え方がまだらになりそれがひどくなったので、思い切って剃ってしまいました。
もう一回最初から生やし直しです。。。。

それにしてもひげを全部剃った自分の顔。。。
ひげに見慣れたせいか、なんだかなにかが足りない!
なんか忘れてる!
めがねをかけ忘れているような、眉毛を片方書き忘れているような。。
なんか足りない。。

非常にバランスが悪いです。。。。

2011年10月21日金曜日

スティーブジョブズの自室

彼のプライベートオフィスの貴重な写真がある。
洗練されたプロダクトデザインとは裏腹に、無造作に収められた書籍、散らかり放題のデスク。
写真には写っていないが、そのほかの書籍など、床に無造作に積み上げたりしている。
ただ唯一言えるのは、あまり部屋にゴチャゴチャと棚や装飾品などを置いてないということ。
いつか手放す又は捨ててしまう物はしまう必要がないとも言える。
考えていれば、天才と呼ばれた人たちの部屋は、みんなゴチャゴチャして、一見片付けてないようにも見える。
僕の部屋は単に片付けられないだけですが(笑)。
そのほかにも自宅の写真がありますが、無駄なものは一切置かれていません。
棚や収納も、無駄な物を仕舞うためのものなら必要ないという考えなのでしょう。
それでも増えてしまう無駄な物。捨てられない物。
ある意味ジョブズは断捨離がはっきりしていると言えます。

昔、ジョブズがアップルに復帰した時、20th  Anniversary Macのシリアル番号1番を贈呈され、それを窓から投げ捨てたというエピソードがあります(真偽の程は定かではありませんが)
ファンにとってはコレクションにしたい逸品でしょうが、ジョブズにとってはただの無駄な駄作だったわけです。
実際、自分から見てもあの製品は欲しいものではありませんでした。

こういったジョブズの精神は、彼が傾倒していた日本の禅による影響が大きいと言われています。
初代iMacを発表したとき、彼はあぐらを組んでiMacを抱えていましたが、その組み方も禅の組み方でしたし、彼がこの部屋になにもなかったときの貴重な写真でも、彼は禅を組んでいます。
邪念を取り払い本質を追究する禅の精神が、彼のルーツにあるのではないでしょうか。
僕はお寺の隣がまたお寺というお寺だらけの町に生まれ、禅もやらされたりしていましたが、その心を忘れてしまっていた日本人として恥ずかしくなりました。

ジョブズは日本製品を「米国の海岸に押し寄せた死んだ魚」と表現したことがあります。
それは革新的製品を生み出し、細やかな物作りをしてきた日本が、いつしかその精神を忘れてしまっていることを言いたかったのでしょう。

ソニーの創業者の一人、盛田昭夫氏が亡くなったとき、彼は「Think Different」のポスターに彼を加えました。

彼もまた、ジョブズの尊敬した一人であり、ソニーを尊敬していたのです。
しかしそのソニーも創業当時の精神を失い、死んだ魚となっていったのです。
ジョブズ本人はこのことを非常に残念に思ったでしょう。

ジョブズの物作りの原点、そして生活。
そこには日本の精神が深く関わっていると思います。


 最後に、ニュースなどではジョブズの関わった最後の大仕事はiPhone5だったと伝えられていますが、僕は彼が関わった最後の大仕事は、アップルの新キャンパス建造だったと思います。
この巨大なUFOのようなデザインは、ジョブズ本人と、世界的建築家、ノーマンフォスターによるもの。
フォスターもまた、斬新なフレームワークなどが特徴的な建築物で名をはせた人ですが、本国イギリス国民からは馬鹿にされたり揶揄されたりした「Think Different」な人なのです。

久々の鬼金棒。…がしかし

久しぶりに、なんとなく鬼金棒のカラシビつけ麺食べた。

しかし、なんか胃が受け付けない。
食べてる途中で気持ち悪くなった。

なんか最近、こってりしたものを受け付けないんだよね。

疲れてるのかな。
それともそんな歳なのかな。
神田駅前の親子丼にすればよかった。

2011年10月20日木曜日

「45stones」買ってきた


1日遅れで斉藤和義「45stones」買ってきた。
ここんとこだらだら会社でいつまでも残業してたから、今日はタワレコ閉店に間に合うように飛び出した。
秋葉原のタワレコは22時までやってるのでありがたやありがたや。

「45stones」は今の社会への怒りや不条理さを思い切りぶつけたアルバム。
昔せっちゃんは「35stones」を発売している。
そのときも移籍に伴う膨大な事務処理などで鬱憤が溜まった時であり、
35歳であったこと、奥さんのお腹から胆石が35個出てきたことからいろんな思いをぶちまけたアルバムだった。

「怒りは唄にすればいい」
せっちゃんが言ってた。
殴るか?
怒鳴るか?
逃げるか?
黙るか?
ならば唄にすればいいんだ。

いろんな思いが詰まったアルバムでした。
「虹が消えるまで」は今の僕には切なすぎる。
「ギター」はとっても共感できる唄だった。

今、施設パンフレットのトレース作業しながら聴いてます。
早く仕上げなくちゃ。



Think Different

10月19日、米国アップル本社のキャンパスで故スティーブジョブズ氏の追悼式が行われたそうです。
全米のアップルストアもこれに合わせて店舗を一時閉店、ストリーミングでこの模様を見ながら社員(アップルストアの店員は日本も含めアップル本社の社員)も参加したそうです。

ずいぶん前にアップルが「Think Differentキャンペーン」を行ったのを覚えているだろうか。
CMにはたくさんの「クレイジー」と呼ばれた偉人たちが登場する。
彼らは「クレイジー」と呼ばれながらも人々から注目され続け、そして常識にとらわれず、世界を変えていった人たち。
常識にとらわれていては他人の作ったルールや慣習に流されていくだけで、なにも新しい物は生まれない。
彼らはクレイジーではなく、天才なのだ。

スティーブジョブズがアップルに復帰して、最初に行ったキャンペーンCMは、スティーブジョブズ本人がナレーションをするという大変貴重なものでした。


<他サイトより抜粋>
【Think different】

To the crazy ones.

Here's to the crazy ones.
The misfits.
The rebels.
The troublemakers.
The round pegs in the square holes.
The ones who see things differently.

They're not fond of rules.
And they have no respect for the status quo.

You can praise them, disagree with them, quote them,
disbelieve them, glorify them or vilify them.
About the only thing you can't do is ignore them.

Because they chang things.
They invert. They imagine. They heal.
They explore. They create. They inspire.
They push the human race forward.

Maybe they have to be crazy.
How else can you state at an empty canvas and see a work of art ?
Or sit in silence and hear a song that's never been written ?
Or gaze at a red planet and see a laboratory on wheels ?

We make tools for these kinds of people.
While some see them as the crazy ones, we see genius.

Because the people who are crazy enough to think they can
chang the world, are the ones who do.

*************************************************************

Think different.(平成10年1月18日 読売新聞 朝刊より)

クレージーな人たちへ

クレージーな人たちがいる。
反逆者、厄介者と
呼ばれる人たち。
四角い穴に、丸い杭を打ち込むように
物事をまるで違う目で見る人たち。

彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。

彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは誰にもできない。

なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。
彼らは発明した。創造した。
人の心をいやし、奮い立たせてくれた。
彼らは人間を前進させた。

彼らは人と違った発想をする。
そうでなければ、何もないキャンバスの上に
芸術作品はみえてくるだろうか?
静寂の中に、今までにない音楽が聞こえてくるだろうか?

私たちは、そんな人たちのための道具を作る。
クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。

自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから。


*************************************************************

バズ・オルドリン(1930-)
宇宙飛行士陸軍士官学校卒業後、空軍入り。マサチューセッツ工科大学の修士、博士課程で宇宙工学を学び学位を得た。また朝鮮戦争にも従軍。1963年NASAの第3期宇宙飛行士に。66年11月にはジェミニ12号に乗り、5時間半の船外活動記録を作る。69年アポロ11号に乗り込み、アームストロング船長に次いで2番目に月面に降り立った。帰還後は神経を病み入院。72年空軍を退官、以後、科学技術コンサルタント業を営む。

モハメド・アリ(1942-)
元世界へビー級チャンピオン1960年ローマ五輪のライトヘビー級で金メダルを取り、のちプロ転向。 19連勝で、64年に世界ヘビー級の王者となる。翌日黒人回教徒となり、モハメド・アリと改名。 以後、67年までに9回の防衛に成功。同年ベトナム戦争への徴兵を拒否しタイトルとライセンスを奪われたが、74年再び王座に帰り咲き78年まで10回防衛。 96年アトランタ五輪では、パーキンソン病を押して聖火の点火者として登場した。

リチャード・ブランソン(1950-)
ヴァージン・グループ会長73年「ヴァージン・レコード」を設立、次々とヒット曲を出す。これを基礎に、レコード、出版、映画、ビデオ、ナイトクラブ、旅行会社、航空会社までを持つ年商1200億円のグループに成長させた。 78年には世界で初めて気球による大西洋横断を、91年には太平洋横断を成功させた冒険家でもあり、英国ではビートルズ以来のスターと言われる。

マリア・カラス(1923-1977)
オペラ歌手ギリシャ移民の子として、13歳まで米国で過ごし、1937年ギリシャに移住。 38年アテネでデビュー、47年ベローナ音楽祭でイタリアのオペラ界に登場。50年ミラノのスカラ座で「アイーダ」に出演、同座で約10 年、さらに世界の一流歌劇場で活躍した。 最高の技巧、歌唱力、演技力で世界のオペラ界に君臨した。 60年過ぎから声の美しさが失われ、65年以降はオペラの舞台には立たなかった。

マイルス・デイビス(1926-1991)
ジャズトランペット奏者・作曲家45年ニューヨークに出てチャーリー・パーカー五重奏団でデビュー。数々の名作を発表し、モダン・ジャズの形式を創り出した。58年に映画音楽「死刑台のエレベーター」、59年には「カインド・オブ・ブルー」「スケッチ・オブ・スペイン」などの名作を生み、天才的トランペッターとして世界中のジャズファンを熱狂させた。69年のアルバム「ビッチェズ・ブリュー」は70年代のフュージョンの先駆的作品と評価される。常にジャズ界の先頭に立ち続け、“帝王”と呼ばれた。

ボブ・ディラン(1941-)
シンガーソングライター公民権運動の盛んな1961年ニューヨークに出てフォークソング運動に参加。「風に吹かれて」「戦争の親玉」などのプロテストソングにより、学生層を中心に圧倒的な支持を集め、日本のフォーク歌手にも大きな影響を与えた。65年ロックに転向し、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を発表。66年バイク事故を機に全ての活動を休止したが、74年再び活動を開始、以来休むことなくライブ活動を続けている。その歌詞は現代詩として高く評価され、97年ノーベル文学賞候補に推薦される。

アメリア・エアハート(1898-1937)
飛行家1928年女流飛行家として初めて大西洋横断に成功。「女性リンドバーグ」として名をはせた。37年5月から世界一周飛行を試み、6月ダーウィン(オーストラリア)着、7月成功寸前に太平洋上で消息を絶った。遭難、日本軍による撃墜などの憶測が飛び交っていたが、92年3月、彼女の最後を調べていたアメリカの研究グループ「タイガー」が、キリバス共和国のニクマロロ島で飛行機の機体の一部と靴を発見し、公開した。

トーマス・エディソン(1847-1931) 
発明家多重電信機、蓄音機、白熱電灯、映画など膨大な発明や改良を行った。 1878年ジェネラル・エレクトリック社の前身であるエディソン電灯会社を設立し、中央発電所による配電システムを完成して電気事業の緒を開く。 1987年から1931年まで、エディソンが運営した研究所は、厚板ガラス製造法、セメント製造、エックス線蛍光透視鏡、ニッケル鉄電池、交直両用モーターなど多種多様な発明を行い、20世紀の産業発展の基礎を築いた。

アルバート・アインシュタイン(1879-1955)
理論物理学者1879年ドイツ生まれ。チューリヒ工科大学で数学・物理を学ぶ。 1905年に「光量子論」「ブラウン運動論」「特殊相対性理論」の3論文を発表。 14年ベルリン大学教授となり、ドイツ市民権を取得。 16年に「一般相対性理論」を完成。 21年にノーベル物理学賞を受賞。 33年ヒトラーのユダヤ人排斥でドイツを追われ米国に亡命、プリンストン高等研究所終身所員となる。 40年米国市民権取得。核兵器廃絶と戦争廃止に尽力した。

リチャード・バックミンスター・フラー(1895-1983)
発明家、建築家第一次対戦従軍後、さまざまな職業を経て、1922年建築を始める。27年力学と最大の効率を結合したプレハブ住宅「ダイマクション・ハウス」を発表、次いで32年〜33年「ダイマクション三輪自動車」で世界を驚かせた。49年には三角形の組み合わせでドームを作る「ジオデシック・ドーム」技法を開発、67年モントリオール万国博覧会のアメリカ館でその構造体を実現。独創的な発想で若い世代に大きな刺激を与えた。

マハトマ・ガンジー(1869-1948)
インド独立運動指導者インド建国の父1919年インド独立を認めない英国に対し、全国的抵抗運動を推進。 無抵抗、不服従、非協力の3原則による独立運動を展開した。この間しばしば英当局により投獄されたが、決して屈せず、詩聖タゴールはマハトマ(大きな魂)という詩を献じ、以後“マハトマ・ガンジー”と呼ばれた。 1948年狂信的なヒンズー教徒に暗殺された。 抵抗運動における非暴力主義・禁欲主義は全世界に大きな影響を与えた。

マーサ・グラハム(1894-1991)
舞踏家1916年ロサンゼルスのデニション舞踏学校に入り、20年から同舞踏団のソリストとして活躍。27年マーサ・グラハム現代舞踏学校を、29年女性ばかりのマーサ・グラハム舞踏団を創設。米国現代舞踏の始祖と言われ、そのキャリアは76歳まで50年以上に及び、87年には93歳で177回目の舞台「冥府の女王」を踊るなど、全てにけた外れの踊り手だった。人間の内面を表現する創作舞踏を目指した、モダンダンスの第一人者。

ジム・ヘンソン(1936-1990)
人形作家大学卒業後、ニューヨークに出て「エド・サリバン・ショー」などに出演。 パペット(あやつり人形)とマリオネット(糸あやつり人形)を合わせた新しい人形キャラクター「マペット」を創造し、1969年から幼児向けテレビ番組「セサミストリート」に登場。 さらに、76年から大人向けの「マペット・ショー」を制作して幅広い人気を獲得し、番組が放送された80ヶ国以上の国々で人気を集めた。

アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980) 
映画監督1920年に字幕デザイナーとして英国映画界に入り、助監督を経て、25年に「快楽の園」で監督デビュー。 ハリウッドのプロデューサーに認められて、39年に渡米。翌年、「レベッカ」がアカデミー賞を受賞。 グレース・ケリーが主演した「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」「泥棒成金」では非凡な演出力を発揮、サスペンスの巨匠と言われた。その他の作品に「ハリーの災難」「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」「鳥」等がある。

マーティン・ルーサー・キング(1929-1968)
牧師、黒人運動家黒人牧師の家に生まれ、ボストン大学大学院卒業後、1954年アラバマ州の教会に牧師として着任。 55年バスの中で白人に席を譲らなかった黒人女性の逮捕事件を契機として、各地で非暴力公民権闘争を展開。 デモの先頭に立ち、63年のワシントン大行進では、「私は夢を持っている」の大演説で聴衆を感動させた。 その後、何度も逮捕されたが屈せず、運動を展開。68年黒人争議を支援中に暗殺された。64年ノーベル平和賞受賞。

ダライ・ラマ14世(1935-)
1939年ダライ・ラマ13世の転生として認定され、40年4歳半の時ラマ教の聖地ラサ市に行きダライ・ラマ14世に即位。中華人民共和国成立後、51年に平和解放のチベット協定を結んだ。59年の反中国のラマ教僧侶・貴族・一般大衆が起こした「チベット反乱事件」でインドへ亡命。亡命政府を樹立し、非暴力によるチベットの解放運動を指導。世界各地を巡り、チベット問題を国際世論にアピールしている。89年にノーベル平和賞を受賞。

ジョン・レノン(1940-1980)ヨーコ・オノ(1933-)
シンガーソング・ライターいくつかのバンド活動を経て、1962年にザ・ビートルズを結成、「ラブ・ミー・ドゥ」を発表。 その後、数々のヒット曲を出し、世界中にビートルズ旋風を巻き起こした。 70年に解散するまで、リーダー的存在として活躍。 69年にオノ・ヨーコと結婚、公開ベッドインなどで反戦平和運動を展開する一方、「イマジン」などを発表。 80年、「ダブル・ファンタジー」の発表後、ニューヨークの自宅前で射殺された。

パブロ・ピカソ(1881-1973)
画家75年間も制作活動を続けた20世紀美術の巨匠。絵画のほか、彫刻や陶芸にも数多くの作品を残した。「青の時代」「薔薇色の時代」を経て、07年にキュービズムを創始、新しい絵画形式を確立する。37年にはドイツ軍のゲルニカ爆撃を告発した「ゲルニカ」を発表して話題となる。第二次大戦後は反戦・平和運動に加わって、「平和の鳩」「朝鮮の虐殺」などを描いた。有名な作品に「アルルの女」「アビニョンの娘たち」などがある。

テッド・ターナー(1938-)
CNNテレビ会長、タイムワーナー副会長広告代理店経営などを経て、1970年つぶれかけていたアトランタのUHF局を買収してテレビ局経営に乗り出す。80年ニュース専門の24時間ケーブルテレビCNNを創設。 91年の湾岸戦争報道で一躍その名を全世界に知らしめた。 85年映画会社MGMを買収。 「テレビ界の風雲児」「ケーブルテレビの王」と呼ばれる。 97年財政危機に苦しむ国連に10年間で総額10億ドルの寄付を表明。

フランク・ロイド・ライト(1867-1959) 
建築家1887年シカゴの建築事務所に入り建築学を勉強。93年26歳の時に独立したが、この年のシカゴ万国博覧会の日本館「鳳凰殿」に大きな影響を受ける。1908年の「ロビー邸」に代表される一連のプレーリー・ハウス(草原住宅)を手がけて名声を得る。20世紀美術館建築の傑作の一つとされる「グッゲンハイム美術館」など生涯約400件の建築を手掛けた。日本との関係も深く、「帝国ホテル」「自由学園明日館」等6件の作品を残した。


*************************************************************
僕はいつもこの言葉を福祉に当てはめてきた。
人々は障害を持つ人たちを特別な目で見る。
それはまるで障害を持つ人たちが普通の人間ではなく、常識ではないと言うように。
それは自分が常識、自分が基準で当たり前と考える健常者と呼ばれる人種のエゴ。
障害を持っていても、普通に社会で生活をする同じ人間なのだ。
ならば社会が多くの人に対応できるように変化しなくてはならない。
彼らは実際にそうさせた。
人々から特別な目で見られた人たちが、社会を変えていった。
男と女、大人と子ども、気むずかしい人と穏やかな人、
たばこを吸う人と吸わない人、経営者と従業員、
敵と味方、障害を持つ人とそうでない人。
その中に同じ社会で生きられない人がいるだろうか?
社会福祉というカテゴリーを生み出したのも彼らなら、
立派に同じ社会を生きる、世界を変えられる同じ人間なのだ。


僕はそう思う。