気がつけば9月になってました。。
更新頻度が少ないですね。がんばります。
さて、五輪のエンブレム問題で揺れるデザイン業界。
今回のパクリ問題について、一部のデザイナーからは擁護の声も聞こえます。
デザインを少しでもかじった人間として言わせてもらえば、擁護しているのは少なからず仕事の関係がある仲間、報道陣から逃げている選考委員も仕事がらみの仲間です。
心理学的に裏を返して読むと、こういった人たちは少なからずパクリをしている可能性もあります。
デザインは常に新しいアイデアを欲していて、常に流行があります。
流行をうまく取り入れ、自分なりの解釈で表現するなら、それはインスパイアされたと言っていいでしょう。
しかし丸ごとエレメント(要素)を使ったり丸写しは、パロディーかパクリであり、クライアントの要求をなにも考えていないと言えます。
デザインするには、必ず理由があります。
色、形、字体、大きさ、すべてに理由があるのです。
クライアントの特徴と要求をしっかり聞き出していれば、それは自然な形で決まってきます。
後付けで理由をつけるのもあり得るでしょう。
しかしそれでは納得のいくデザインには仕上がりません。
デザインはアートでも自分の作品でもありません。
クライアントを具現化するいわば分身を受注生産するのです。
それを勘違いしているデザイナーが多いと思います。
今回の問題を起こした当人のこれまでの作品をザッと見てみました。
正直言ってどっちらかってて一貫性がありません。
つまり、そのデザイナー特有の匂いが全くない。
どこかで見たことのある匂い。
つまり誰かのデザインを常に参考にして作っていると思いました。
問題の五輪のエンブレムを見て感じたのは、東京、金銀銅、日本という要素を盛り込んだ形のようで、メッセージ性がなく、表面要素だけを集めた形に見えました。
ロゴデザインは、ひとつのメッセージがあればいい。
そのメッセージもなく、単純な表面的要素だけで作られたこのロゴは何も伝わる物がありませんでした。
それに比べ1964年の亀倉さんのロゴは素晴らしかった。
過去の作品を見てもうひとつ感じたことは、「絵の描けないデザイナーではないか」ということ。
Macとillustratorに依存しすぎで、デスクに向かってillustratorをいじりながら考えていくタイプ。
最近こんなデザイナー多いと思います。
絵を描くことは基本であり、PCは仕上げの道具です。
これだけ問題になったロゴですからもう使うことは無理です。
組織委員の会見の言葉「私たちには理解できるが、一般国民は理解してくれない」
この言葉に驚きました。
ものすごい上から目線でデザイナーが偉いとでもいうような態度。
デザイナーはあくまで下請け業者です。こうやってデザイナーがまるでアーティストかのように持ち上げるからみんな勘違いしてしまうのです。
それとデザインは一般国民に向けてのアピール要素です。
国民が理解できなければ意味はありません。
デザインは仲間内のオナニーの道具ではないのです。
今回の選考の仕組み、選考委員の顔ぶれ、デザイナーの態度には本当に憤慨しました。
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