2014年6月8日日曜日

映画「Steve Jobs」

古巣の倒産に振り回され、身も心も疲れ果てた週末。
ギターを弾くこともなく、昨夜は「Steve Jobs」のDVDを観た。
誰もが知る、Appleの創業者であり、子供たちに夢を与えたPixerのオーナーであり、そして、クレイジー。

映画はAppleの創業から奇跡のApple復帰までのストーリーを描いている。

ジョブズはMicrosoftのビルゲイツのように、プログラマーでもないし、エンジニアでもない。
そんな彼が、なぜあれだけ歴史に残るイノベーションを成し遂げてきたのか。
彼が友人であり天才プログラマーであるスティーブ・ウォズニャックの制作したApple l のプロトタイプを見たとき、そこから広がる未来が見えた。
コンピュータは将来、人々の生活に密接に絡み合い、人々の生活を豊かにしていくと。
普通ならここで「これは儲かる」という思考になると思う。
しかし彼は「コンピュータというものを、普通の人々にグッと近づけたい」と考えた。
ここがプログラマーやエンジニアと違う思考だったのだと思う。
彼はカリグラフィーを学びながら、禅にも傾倒していた。
無駄なことは考えない。ごくシンプルに、わかりやすく。そして美しく。
彼の思想はコンピュータの外観どころかOSの見栄え、フォントの美しさ、果てには内部のロジックボードの美しさまで至った。
そしてコンピュータ黎明期から「コンピュータは箱から出してすぐに使える、家電製品でなくてはならない」というコンセプトを貫いた。
その集大成が、初代Macintoshだった。

しかし彼のその徹底した拘りぶりによって自らCEOに招き入れた元ペプシコーラのジョン・スカリ−からAppleを追い出される。
もはやジョブズ自身がAppleの敵になってしまっていた。

そしてジョブズなきAppleはビジネス路線を突き進み、思想を忘れた結果、陳腐な製品ばかりを連発してついに株価は過去最低、瀕死の状態となる。
「立て直し屋」と言われたギルバート・アメリオをCEOに迎え入れるが、状況は更に悪化。
ギルは最後の手段として、カリスマでもあったジョブズをAppleに復帰させる。
しかし皮肉なことに、自ら復帰させたジョブズによってギルはAppleを追われ、ジョブズが暫定CEOとなる。
暫定CEOとして復活したジョブズは、社内のプロジェクトを次々と廃止し、ついにあの歴史的iMacを発表する。
Appleの復活である。
復帰してからのジョブズの思想は、まったく変わっていなかった。
「コンピュータをもっと人の近くに」それだけを突き進み、彼は死ぬまで年間の報酬を1ドルしか受け取らなかった。
会社を大きくするのは、あくまでその資金で「もっといいもの」を作るためだった。
彼はソニーという企業をリスペクトしていた。
創業者の一人、盛田昭夫を心から尊敬していて、Think Differentキャンペーンに登場する「クレイジー」たちの中にも、盛田昭夫が登場する。
ウォークマンの衰退は、ジョブズにとっては残念な出来事だったに違いない。
そこでジョブズは音楽のあるべき姿をもう一度復活させるため、iPodを世に送り出す。
音楽の楽しみ方はこの1台で激変し、世界を塗り替えてしまった。
携帯電話もそうだ。
彼にとっては世の中の携帯電話は退屈なものだったに違いない。
だから電話の理想を形にした。それがiPhone。
彼の物作りの考え方は、世にあるものを組み合わせてできたものを商品化するのではなく、「こうあるべき」とイメージした物をゼロから作り出す。
そのためなら工場の設備や製造方法まで変えてしまう。
それがAppleの原動力であり、すべて。

僕はAppleの製品というよりも、彼のそういった物作りへの拘りが好きだった。
人々を豊かにする技術は、こうでなきゃいけないと思った。
誰もが使いやすく、わかりやすく、いつまでもあせることない美しさを持った製品。
Appleが他社よりも10年先を行ってるという意味は、そこにある。

なんか語ってしまったけど、今回映画を見て、そうあらためて思ったのでした。

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