SNSで友達が投稿した記事に「遺言を書いておこう」という言葉があった。
彼女は危険と常に隣り合わせのスポーツをしている。
それを仕事と考えてるか、レジャーと考えてるかはわからないけど、ふとその言葉の重みに違和感を覚えた。
なぜ命をかける必要があるのか。
そもそもしっかりとした安全対策の元で楽しむものがスポーツ。
その一線を越えたものは「冒険」になる。
冒険は文字通り「危険を冒す」もの。
僕はサーフィンをするけど、タイフーンスウェルに挑んだりビッグウェーブを探してトリップするようなこともしない。
あくまで「スポーツ」だから。
海から上がった時にどれだけリラックスして幸福感を得られるかが僕には重要。
そしてそれは「命」をつなげていくための所業。
彼女はこの先「何かあるかもしれない」と思っている。
彼女にとってはそれが「幸せ」なのかもしれないけどね。
僕は自分が長生きするとは思ってないけど、自分の命を晒すことは、たとえ神様がそれを望んだとしてもできないな。
世界のどこかで、今日も命をかける人々がいる。
それが正義かどうかはわからないけど、
命は、「何かを守る」ためにかけるものだと思う。
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