2014年9月19日金曜日

フロイト

大学で心理学を学んだ人なら、必ずこの人の名前を聞いたことでしょう。

ジークムント・フロイト。

精神分析学、心的理論装置、夢判断、リビドー、なんとなくだけど、覚えているのでは?
彼は「無意識」の部分にフォーカスした研究が非常に多く、言い換えれば深層心理、本能の部分と言えるでしょう。
特に性愛的な部分の理論が多く、それは言わば人間の根底の部分であり、一概に割り切れるものでもない部分の研究です。
そのことばかりよくクローズアップされますが、そもそも彼は自然科学者です。
そして脳科学、コカイン療法、ヒステリーの研究など、様々な分野で功績を残しています。

僕もベタではありますが、心理学者の中ではフロイトが好きです。

ふと、フロイトの言葉を今日、思い出しました。
「非常に強い悲しみというのは、時間が経つと薄らぐだろう。 しかし、失われた者の代わりというのは、絶対に有り得ない。 どんなに心の中にあいた穴を埋めようとしても、 また埋められたと思っても、絶対に、 それは最初のものの代わりにはなり得ない。 したがって、悲しみが強いのは当然であり、 これは、我々が手放そうとしない、持ち続けていたい、 その愛を続ける唯一の方法なんだ。」
 これは非常に男性的な考え方だなと思いました。
最近では恋愛はコンピュータに例えられ、「これまで経験した相手との出来事は、男性はそれぞれのフォルダーに別名保存、女性は完全に上書き保存」と言われています。
これに照らし合わせると、まさにフロイトの理論は男性的であり、彼も別名保存タイプであったと言えます。

愛する人に対して、何かを待っていたとします。
それが過去の物でも、代わりになる物や代わりに埋められる穴ではない。
だから待ち続けられる。
その悲しみが強いほど、代わりはなく、その愛を続けることができる。

詩人アイスキュロスはこう言っています。
悲しみの報酬は経験である
その言葉が正しければ、フロイトは大きな恋愛の末に大きな悲しみを味わい、この言葉を発したと思われます。
脳科学者であり理論派でありながら、彼はこの言葉に「持ち続けていたい」という言葉を使っています。
断言ではなく、希望を入れている。
これは自ら提唱した意識の構造図のエス、自我、超自我の中の「自我」の部分、とりわけ水面下(無意識側)が露呈してしまったもの。
そこにフロイトの心の傷の大きさが表れていると思います。

彼もまた「いつかまた会える」「いつかまたあの愛と取り戻したい」
そう思ったのでしょう。

今日は残業しながらそんなことをふと思い出したのでした。

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