2016年4月24日日曜日

結果論が渦巻く世論

今回の地震について、政府の対応や避難者の態度、自治体の動きなど様々なところで批判が出ている。
評論、批判はすべて結果に対して表れる。
今回政府は東日本大震災の教訓を受け、物資を「プッシュ型」という方法で対応した。
いわゆる、なにはともあれ物資を優先的にどんどん被災地に送り込むという方法。
結果としては途中道路の寸断などで遅れる場面もあったが、物資は届き、だぶつくほどになった。それに対して批判が起きている。
しかし逆だったら? もしプッシュ型を実施せずに物資が滞り気味だったら、それはそれで批判が出るだろう。
いずれにしても批判は出てくる。「今回の対応はとてもうまくいった」と絶賛があったとしても、「その一方で...」とメディアはつついてくる。
ならば一応の物資は十分に届けられたということで今回はよかったのではないだろうか。

気になる点もあった。SNSによる避難者からのSOSだ。
SNSは当然のごとく、全世界に向けて発信される。それを使っての物資要請はどうなのだろうか。
SNSでSOSを出すことは、つまり「誰でもいいから助けて」ということだ。
これに個人個人が対応すると、「誰でも」に対して「誰も」が反応する。
その結果必要以上に大量の物資が届き、しまいには「もういらない」となる。
もしSNSで発信するなら「○○が○個必要です」というように具体的に発信し、物資が十分に届いたら「十分に届きました、もう結構です」と一言迅速に発信するべき。
それを怠ったために余計な量が被災地に届いて「もういらない」となってしまった。

関西に済む人がSNSで必要な物資の情報を集めトラックに満載し、現地へ向かった。
着いた頃には物資は十分に行き届き、結局全部配ることはできず余らしてしまった。
こうしているうちにも政府や自治体は常に動き、十分に準備が整ってる物資をリアルタイムで配給していた。
災害初期に個人が動き回るのはあまりお奨めできない。
個人が動くより遙かに大きな力で自治体や政府が動いている。
なぜそれを無視するのか。
あまり深く考えずに動いて混乱する人たちと動きもせずにネット上で批判だけ浴びせる人たち。
昔からそういう人はいたとしても、今はそれがネットの発達で表に出てくるようになった。

何に対しても100人中100人が賛同共感することはない。
ならば批判は気にせず自分の信じたとおりに動けばいい。
でもそれはしっかりと熟慮してからだと思う。

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