昨日、例のスカウト電話をしてきた企業に行ってきました。
一応礼儀なので久しぶりにキチンとスーツを着ました。
パリッとしたスーツ姿は嫌いではないんだけど、今の仕事ではちょっと動きにくいんですよね。
ネクタイ締めて、革靴履いて、久しぶりに背筋がピンとしました。
さて、ここは丸の内にあるビルの最上階。
そこに今回の企業はありました。
出てきた担当者はこれまたパリッとしたスーツで、企業戦士らしい出で立ちです。
まずは企業人同士の挨拶、名刺交換から。
こちらも以前は上場企業にいたこともあるわけですから礼儀はわきまえているので堂々と。
なぜ僕が?
それが一番の疑問だったので、それを担当者へぶつけてみました。
すると、業界に詳しく営業力に長けている人材を探していて、とあるリサーチ会社へ依頼、いろんな情報を元に集めた名簿を買っているそうです。
その名簿の中に僕の名前があったそうです。
この時点でリサーチ会社のリサーチ力もかなりいい加減だということがわかります(笑)。
そこには僕の名前と会社名、ある程度の営業データなどがあるようですが、詳しくは記載されていないため、あとは面接して確認と言うことになったらしい。
採用は正社員採用。
ただ、優秀であれば誰でもいいというわけではなく、いろいろと条件はあるようです。
その条件によって点数があり、それを一定基準超えていないとその先に進めないという仕組みのようです。
そもそも僕には転職するつもりはまったくなく、今回は話を聞きに行っただけ。
じゃあわざわざ会わなくてもよかったんじゃない?と思う人もいるかもしれません。
人とのつながりはどんなときにどんなチャンスをもたらすかわかりません。
今回は転職というキーワードでつながった訳ですが、ビジネスやその他、どんなときにそのつながりが活きるかもわからないし、会ってみないとわからないこともたくさんあります。
だから僕は極力このような場合は人と会うようにしています。
久しぶりに金融業界の話をしました。
僕らがやっていたバブル期と違い、金利も低く各業界が入り乱れ相互乗り入れする時代。
そしてネットで消費者が比べて選べる時代です。
それなりに熾烈な競争があることは予測できます。
そこで戦略的に営業ができる人材を積極的に採用しようというわけです。
しかしまあ、僕もアラフィフに手がかかる年齢。
今からキャリアを新しく積み上げていくのもしんどいと思います。
当然ながら先方担当者も年齢部分と転職回数で基準を満たさないようで、残念そうな顔をしていました。
収入部分では文句の付けようもない額でした(笑)。
逆に僕の年収を聞いて担当者は驚愕していましたが(^^;
「その収入でも今の会社にいたいと思えるなにか魅力があるんでしょうね。」
その通りです。決して収入だけでは会社の魅力は語れません。
お金はやりくりすればなんとかなるものです。
人が幸せを感じるのはそこじゃないしね。
というわけで、今回のお見合いはご縁がなかったようです(笑)。
その夜、一人で沖縄居酒屋へ行き、一人忘年会。
泡盛でほろ酔い、三線をぽろんぽろん弾いてたら、1次会で酔っ払って店にやってきた、一人のうちなーんちゅが。
「にぃにぃよー、安里屋ゆんた頼む!」
すっかりご機嫌のうちなーんちゅ、安里屋ゆんた弾いたら大盛り上がり。
「あんたうちなーんちゅね?」
「いえ、大分県人です(キリッ)」
「なんで三線弾けるんさ〜(笑)」
てなわけで僕が弾くようになった経緯を説明。
僕が小学校で終戦記念日に沖縄戦を学んでいたこと、それがきっかけで沖縄にはリゾートではない特別な思いがあったこと、平和祈念公園で集団自決した崖を見下ろしたとき、たくさんの戦没者たちの魂が自分の中に入ってくるような気がして涙が止まらなかったこと、行くたびにおばぁやおじぃたちの笑顔に触れ、この笑顔は戦争というこの上ない悲しみの上に咲く笑顔なんだということ、周辺の国々に翻弄された沖縄王朝の歴史、いろんなことを話した。
そしたらそのうちなーんちゅが泣き出した(笑)。
「ありがとねー、ありがとねー、あんたはもう立派なうちなーんちゅよ。ほれ、乾杯!」
なんかうれしかった、うちなーんちゅに認められたのがすごくうれしかった。
それですっかり打ち解けて、二人で飲み直した。
なんでこの話をしたかというと、ここで幸せとはなにかという話になったんですね。
お金は必要か?それがすべてか?
確かにお金があれば苦労もしない。でも幸せとは限らない。
人々はその昔、畑を耕し、海で漁をし、生きるためのものはすべて自給自足してきた。
それで十分幸せな生活が送れた。
しかしお金がすべてを変えた。
自分たちで米を作って食べてきた人々は、やがてお金を払えば米は作らなくても買えることを知った。
そしていつしか必要なものは米ではなくそれを買うためのお金に替わっていった。
うちなーんちゅは言った。
「お金がなくても死にはしない。生きればいいのさ。人はお金がなくなると死ぬような錯覚になっている。そうじゃないよね。お金が人の命を支えているんじゃない。」
まったくその通りだ。
琉球王朝の3つの言葉。
「命(ぬち)は宝」
「いちゃりばちょーでー」
「なんくるないさ」
3つめの「なんくるないさ」。
人々はなにかあったときに開き直りの意味でこの言葉を使う。
実はとことんとことんやり抜いて、生き抜いて、ここまで、というところで出す言葉だそうです。
とことんやっても駄目だった、そのときに命をあきらめる意味での「なんくるないさ」じゃない。
ここまでやっても、まだ生きられる。それが「なんくるないさ」だと。
幸せは、その先にあるもの。
だから島の人たちは悲しい悲劇を経験してもまだ、笑顔を絶やすことなく穏やかに暮らすことができるのです。
勉強になりました。
すごく長くなっちゃんた。ごめんね。
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