「まーた始まったよ(呆)」
そんな声が聞こえてきそうですが、これが僕なので理解してもらうしかないです(笑)
森でコンサートの準備やワークをしたゴールデンウイーク後半。
青空の下、みんなで作業をする時間は僕の中でも大好きな時間。
これこそ森の過ごし方という感じです。
ここへ来るようになって約20年。
その間にもいろんなことがあったし、みんなとも激論を繰り広げたこともあった。
コンサートや活動の存続も危ぶまれた時もあった。
時代は常に変わっていく。
それはわかっているし、僕が常に人に言ってること。
でも、自分のこととなるとなかなかそれを受け入れられなかったり、認めたくなくて抗ったりする。
実はこんな僕でも大嫌いな時間があります。
それはみんなが漫画を読みふけってる時間。
みんな会話もせず、黙々と読んでいる。
仲間が集った場所で、個々の世界に入り込む。
なんでみんなで集まってるのに、そんなことをするのか理解ができなかった。
デッキに出て風を感じる人も、豊かな自然の中を歩いたり森の中に身を置く人もいなくなった。
例えば会社の飲み会でずっとケータイをいじってるゆとり世代の社員と同じような光景。
昔はみんなで語りながら朝まで飲んだりギターを弾いたりしていた。
そんな風に書いたらきっと「昔は昔、今は今。古いですよ」って言われるだろう。
みんなが漫画を読んでるとき、僕はよくギターを取り出して弾いてる。
それはそれで個々の世界と同じだと言われるかもね。
でも僕の場合は結局、逃げてる。
基本的に僕が音楽をやってるときは逃げてる。
音楽は僕の逃げ場所。
うれしいこともある。
40代より下の仲間がいろいろ意見を主張するようになった。
僕はそれがすごくうれしい。
だけどその反面、自分の出番はもうなくなってきたなと寂しくなる時もある。
日常的な話題も、共通して話せる話題が減った。
いわゆるジェネレーションギャップ。
いつしか僕は少し後ろに下がって輪の外から全体を見るようになった。
森で料理を作るのもその理由。
別に漫画を読みふけったって構わない。
一部の仲間だけで盛り上がってても構わない。
自由に好きなように過ごせばいい。
それが森の、そして森のキャンプや活動のルールです。
だから上に書いてるようなことは単に僕が好きじゃないというだけであって、嫌だったら離脱したり自分のやりたいことをやればいいわけです。
単に古い時代の頭の固い親父の小言です(笑)
そう、自分が違う、やりたいことじゃないと思えばその場にいなければいいのです。
その理由が、主旨や目的や手法の違い、意見の違い、輪の中に入れないなど、どんな理由でもいいのです。
大切な仲間であることに違いはないし、10年会わなくてもみんなにまた会いに行ける。
実際に僕は10年近く夏の障キャンは離脱していた。
今年の活動、実は僕はこの森コンが最後です。
CD作りとかはあるけど、これは僕がやってる企画なので、もちろん続けます。
老兵は去るのみ。
しかし戻って来ることもできるのがこの場所。
ここ1〜2年、思っていたことです。
時代の移り変わりを受け入れることのできない、オッサンの悪あがきです(笑)
オッサン?
そう、僕は最近自分のことをよくオッサンと呼ぶ。
いつまでも若いつもりでいたし、若いみんなともうまくやっていける自信があった。
でも最近はギャップを感じたり輪の中に入れなかったりして、等身大が一番楽になった。
だから自分をオッサンと呼んで、そこから一線を引いています。
「好きに過ごしていいなら書く必要ないじゃない」
そう言われるかもしれないけど、世代の新しい人たちが入ってきて森のそもそもの主旨を知らない人も多くなったのであらためて書いたまでです。
50を過ぎても、60を過ぎても、大切な仲間であることには変わりありません。
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