2012年11月19日月曜日

存在価値

くだらん話です(笑)。

時々、自分の存在価値はなんだろう?と思うときがあります。
周りの人から見たら、僕はどう見えてるんだろう?
ただの道楽者?
懲りないチャラ男?
そう見られても仕方ないかもしれません。

実際、自分の欲望というか、目指すものには猪突猛進します。
前にも書きましたが、買いたい物があったら、そのために努力します。
部屋は散らかってるけど、物で埋まってはいない。
なにかがやってきて、なにかがいなくなっている。その繰り返し。
その辺は結構スパッと切り捨てたりします。
それはどうでもいいとして、自分に必要とされている事ってなんなんだろう?というのが僕の疑問です。
もしも僕がここからいなくなったとしても、世界は回り続ける。
つまりは僕の存在する価値というものはどこにもないわけで。
「そんなことないよ!」
じゃあどこに価値がある?
僕にはわからないんですな。それが。
これは今に始まったことではなくて、十代の頃から繰り返し思っていることです。
それが年を追うごとに漠然と思っていたことが哲学的に考えるようになりました。
もしかしたらそれが「生きる」ということなのかもしれないけど、僕の価値、人間でいる意味がやっぱりわからない。
小学生の時、手塚治虫の「火の鳥」を読んだときに初めて「輪廻転生」という言葉を知った。
僕は人間でなくなったとき、どんな動物や植物、あるいは虫になって、いつまた人間として生まれることができるんだろう。
そんなことを考えていた。
僕がまたすぐに人間として生まれ変われるにはどうしたらいいんだろう、とか。
まずは今の自分の人生に立ち戻って、この人生をどう全うしていくのか考えなくてはいけない。
もし幸福なことに寿命まで生きられたとしたら僕はすでに人生の折り返し地点を過ぎている。
なのにまだ自分を探している。
もしかしたら今の人生は意味がないんじゃないか?
だとしたら僕の意味ある人生はどこにある?
今の自分は、そんなことにあがいているのかもしれない。

大人になって、たくさんの仲間に恵まれた。
そんなたくさんの仲間を見るようになって、自分の生き方の比較対象がたくさんできて、自分の生き方が陳腐に思えた。
僕の仲間、誰をとっても僕にとって価値のある人たち。
ある日、そんなみんなが僕の目標になった。
たくさんの仲間に愛される仲間。
それに比べたら僕は意外と孤独だったことに気付く。
そして自分の価値の低さに気がついた。

でも結局は、それが「僕」なんだな。

今夜は新しく出来た曲の歌詞を考えてたときに、ふとそんなことを思った。

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