2012年3月2日金曜日

ボブ・ディランは現代の若者に受け入れられるのか

現代の若者の音楽傾向は多種多様で、昔のようにロックの時代とかパンクの時代とか、そういう突出したブームはあまりないように思えます。

むしろ僕らがバンドをやってた時代よりも、今の若者はアコースティックギターやブルースハープなど古き良き時代(?)のものも躊躇無く受け入れているように思います。

ただ、音楽性の違いはすごくあるように思えるのです。

過激な歌詞よりもどちらかといえば平凡な生活の描画や自己啓発的な詩が多い。
ラブソングも少し一歩引いた目線から見た感じだったり、ちょっと弱気な発言だったり。
そこが今の若者に共感できるラインなのかもしれません。


僕の1世代前はアコースティックギター(昔はフォークギターと呼んでいた)は時代の象徴であり運動の象徴であった。
みんながギターを持って社会や政治への不満や抗議を歌っていた。
時代と共に、アコースティックギターは背景も違ってきているんですね。

そこで思ったのが、ボブ・ディラン。
誰もがあこがれたアコースティックギターの雄ですが、今の若者にはどう映るのでしょう。
人によっては尾崎豊と同等に見られることもある「時代の代弁者」と言われた彼。
いつしか社会運動の中に歌は巻き込まれ、彼にあこがれた若者が社会運動で歌うようになってしまったためにディランはこのように呼ばれたのだと思います。

しかし、ディランは今まで一度も社会についてとか政治についてとか意識して歌ったことはありません。
彼は「ごく平凡な日常」を好んでいて、歌もそんな日常生活の中から生まれています。
それがたまたま同時期に起こった市民権運動などのムーブメントと重なり、それを歌にして口にしてしまったためにこのようなイメージに巻き込まれることになったのです。


斉藤和義がごく日常の中から歌詞を生み出すように、ディランも同じように日常の中から言葉を拾っています。
そのためディランは初期のイメージを払拭するために途中から歌い方も歌の方向性も変えてしまいます。

彼の歌は時代は違えど、今の若者に近いセンスで歌われてると思うんだけどな。
ゆずや山崎まさよしなんかを聴くなら、ぜひボブ・ディランも聴いて欲しい。


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