2011年10月20日木曜日

Think Different

10月19日、米国アップル本社のキャンパスで故スティーブジョブズ氏の追悼式が行われたそうです。
全米のアップルストアもこれに合わせて店舗を一時閉店、ストリーミングでこの模様を見ながら社員(アップルストアの店員は日本も含めアップル本社の社員)も参加したそうです。

ずいぶん前にアップルが「Think Differentキャンペーン」を行ったのを覚えているだろうか。
CMにはたくさんの「クレイジー」と呼ばれた偉人たちが登場する。
彼らは「クレイジー」と呼ばれながらも人々から注目され続け、そして常識にとらわれず、世界を変えていった人たち。
常識にとらわれていては他人の作ったルールや慣習に流されていくだけで、なにも新しい物は生まれない。
彼らはクレイジーではなく、天才なのだ。

スティーブジョブズがアップルに復帰して、最初に行ったキャンペーンCMは、スティーブジョブズ本人がナレーションをするという大変貴重なものでした。


<他サイトより抜粋>
【Think different】

To the crazy ones.

Here's to the crazy ones.
The misfits.
The rebels.
The troublemakers.
The round pegs in the square holes.
The ones who see things differently.

They're not fond of rules.
And they have no respect for the status quo.

You can praise them, disagree with them, quote them,
disbelieve them, glorify them or vilify them.
About the only thing you can't do is ignore them.

Because they chang things.
They invert. They imagine. They heal.
They explore. They create. They inspire.
They push the human race forward.

Maybe they have to be crazy.
How else can you state at an empty canvas and see a work of art ?
Or sit in silence and hear a song that's never been written ?
Or gaze at a red planet and see a laboratory on wheels ?

We make tools for these kinds of people.
While some see them as the crazy ones, we see genius.

Because the people who are crazy enough to think they can
chang the world, are the ones who do.

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Think different.(平成10年1月18日 読売新聞 朝刊より)

クレージーな人たちへ

クレージーな人たちがいる。
反逆者、厄介者と
呼ばれる人たち。
四角い穴に、丸い杭を打ち込むように
物事をまるで違う目で見る人たち。

彼らは規則を嫌う。彼らは現状を肯定しない。

彼らの言葉に心をうたれる人がいる。
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる。
しかし、彼らを無視することは誰にもできない。

なぜなら、彼らは物事を変えたからだ。
彼らは発明した。創造した。
人の心をいやし、奮い立たせてくれた。
彼らは人間を前進させた。

彼らは人と違った発想をする。
そうでなければ、何もないキャンバスの上に
芸術作品はみえてくるだろうか?
静寂の中に、今までにない音楽が聞こえてくるだろうか?

私たちは、そんな人たちのための道具を作る。
クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。

自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから。


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バズ・オルドリン(1930-)
宇宙飛行士陸軍士官学校卒業後、空軍入り。マサチューセッツ工科大学の修士、博士課程で宇宙工学を学び学位を得た。また朝鮮戦争にも従軍。1963年NASAの第3期宇宙飛行士に。66年11月にはジェミニ12号に乗り、5時間半の船外活動記録を作る。69年アポロ11号に乗り込み、アームストロング船長に次いで2番目に月面に降り立った。帰還後は神経を病み入院。72年空軍を退官、以後、科学技術コンサルタント業を営む。

モハメド・アリ(1942-)
元世界へビー級チャンピオン1960年ローマ五輪のライトヘビー級で金メダルを取り、のちプロ転向。 19連勝で、64年に世界ヘビー級の王者となる。翌日黒人回教徒となり、モハメド・アリと改名。 以後、67年までに9回の防衛に成功。同年ベトナム戦争への徴兵を拒否しタイトルとライセンスを奪われたが、74年再び王座に帰り咲き78年まで10回防衛。 96年アトランタ五輪では、パーキンソン病を押して聖火の点火者として登場した。

リチャード・ブランソン(1950-)
ヴァージン・グループ会長73年「ヴァージン・レコード」を設立、次々とヒット曲を出す。これを基礎に、レコード、出版、映画、ビデオ、ナイトクラブ、旅行会社、航空会社までを持つ年商1200億円のグループに成長させた。 78年には世界で初めて気球による大西洋横断を、91年には太平洋横断を成功させた冒険家でもあり、英国ではビートルズ以来のスターと言われる。

マリア・カラス(1923-1977)
オペラ歌手ギリシャ移民の子として、13歳まで米国で過ごし、1937年ギリシャに移住。 38年アテネでデビュー、47年ベローナ音楽祭でイタリアのオペラ界に登場。50年ミラノのスカラ座で「アイーダ」に出演、同座で約10 年、さらに世界の一流歌劇場で活躍した。 最高の技巧、歌唱力、演技力で世界のオペラ界に君臨した。 60年過ぎから声の美しさが失われ、65年以降はオペラの舞台には立たなかった。

マイルス・デイビス(1926-1991)
ジャズトランペット奏者・作曲家45年ニューヨークに出てチャーリー・パーカー五重奏団でデビュー。数々の名作を発表し、モダン・ジャズの形式を創り出した。58年に映画音楽「死刑台のエレベーター」、59年には「カインド・オブ・ブルー」「スケッチ・オブ・スペイン」などの名作を生み、天才的トランペッターとして世界中のジャズファンを熱狂させた。69年のアルバム「ビッチェズ・ブリュー」は70年代のフュージョンの先駆的作品と評価される。常にジャズ界の先頭に立ち続け、“帝王”と呼ばれた。

ボブ・ディラン(1941-)
シンガーソングライター公民権運動の盛んな1961年ニューヨークに出てフォークソング運動に参加。「風に吹かれて」「戦争の親玉」などのプロテストソングにより、学生層を中心に圧倒的な支持を集め、日本のフォーク歌手にも大きな影響を与えた。65年ロックに転向し、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を発表。66年バイク事故を機に全ての活動を休止したが、74年再び活動を開始、以来休むことなくライブ活動を続けている。その歌詞は現代詩として高く評価され、97年ノーベル文学賞候補に推薦される。

アメリア・エアハート(1898-1937)
飛行家1928年女流飛行家として初めて大西洋横断に成功。「女性リンドバーグ」として名をはせた。37年5月から世界一周飛行を試み、6月ダーウィン(オーストラリア)着、7月成功寸前に太平洋上で消息を絶った。遭難、日本軍による撃墜などの憶測が飛び交っていたが、92年3月、彼女の最後を調べていたアメリカの研究グループ「タイガー」が、キリバス共和国のニクマロロ島で飛行機の機体の一部と靴を発見し、公開した。

トーマス・エディソン(1847-1931) 
発明家多重電信機、蓄音機、白熱電灯、映画など膨大な発明や改良を行った。 1878年ジェネラル・エレクトリック社の前身であるエディソン電灯会社を設立し、中央発電所による配電システムを完成して電気事業の緒を開く。 1987年から1931年まで、エディソンが運営した研究所は、厚板ガラス製造法、セメント製造、エックス線蛍光透視鏡、ニッケル鉄電池、交直両用モーターなど多種多様な発明を行い、20世紀の産業発展の基礎を築いた。

アルバート・アインシュタイン(1879-1955)
理論物理学者1879年ドイツ生まれ。チューリヒ工科大学で数学・物理を学ぶ。 1905年に「光量子論」「ブラウン運動論」「特殊相対性理論」の3論文を発表。 14年ベルリン大学教授となり、ドイツ市民権を取得。 16年に「一般相対性理論」を完成。 21年にノーベル物理学賞を受賞。 33年ヒトラーのユダヤ人排斥でドイツを追われ米国に亡命、プリンストン高等研究所終身所員となる。 40年米国市民権取得。核兵器廃絶と戦争廃止に尽力した。

リチャード・バックミンスター・フラー(1895-1983)
発明家、建築家第一次対戦従軍後、さまざまな職業を経て、1922年建築を始める。27年力学と最大の効率を結合したプレハブ住宅「ダイマクション・ハウス」を発表、次いで32年〜33年「ダイマクション三輪自動車」で世界を驚かせた。49年には三角形の組み合わせでドームを作る「ジオデシック・ドーム」技法を開発、67年モントリオール万国博覧会のアメリカ館でその構造体を実現。独創的な発想で若い世代に大きな刺激を与えた。

マハトマ・ガンジー(1869-1948)
インド独立運動指導者インド建国の父1919年インド独立を認めない英国に対し、全国的抵抗運動を推進。 無抵抗、不服従、非協力の3原則による独立運動を展開した。この間しばしば英当局により投獄されたが、決して屈せず、詩聖タゴールはマハトマ(大きな魂)という詩を献じ、以後“マハトマ・ガンジー”と呼ばれた。 1948年狂信的なヒンズー教徒に暗殺された。 抵抗運動における非暴力主義・禁欲主義は全世界に大きな影響を与えた。

マーサ・グラハム(1894-1991)
舞踏家1916年ロサンゼルスのデニション舞踏学校に入り、20年から同舞踏団のソリストとして活躍。27年マーサ・グラハム現代舞踏学校を、29年女性ばかりのマーサ・グラハム舞踏団を創設。米国現代舞踏の始祖と言われ、そのキャリアは76歳まで50年以上に及び、87年には93歳で177回目の舞台「冥府の女王」を踊るなど、全てにけた外れの踊り手だった。人間の内面を表現する創作舞踏を目指した、モダンダンスの第一人者。

ジム・ヘンソン(1936-1990)
人形作家大学卒業後、ニューヨークに出て「エド・サリバン・ショー」などに出演。 パペット(あやつり人形)とマリオネット(糸あやつり人形)を合わせた新しい人形キャラクター「マペット」を創造し、1969年から幼児向けテレビ番組「セサミストリート」に登場。 さらに、76年から大人向けの「マペット・ショー」を制作して幅広い人気を獲得し、番組が放送された80ヶ国以上の国々で人気を集めた。

アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980) 
映画監督1920年に字幕デザイナーとして英国映画界に入り、助監督を経て、25年に「快楽の園」で監督デビュー。 ハリウッドのプロデューサーに認められて、39年に渡米。翌年、「レベッカ」がアカデミー賞を受賞。 グレース・ケリーが主演した「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」「泥棒成金」では非凡な演出力を発揮、サスペンスの巨匠と言われた。その他の作品に「ハリーの災難」「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」「鳥」等がある。

マーティン・ルーサー・キング(1929-1968)
牧師、黒人運動家黒人牧師の家に生まれ、ボストン大学大学院卒業後、1954年アラバマ州の教会に牧師として着任。 55年バスの中で白人に席を譲らなかった黒人女性の逮捕事件を契機として、各地で非暴力公民権闘争を展開。 デモの先頭に立ち、63年のワシントン大行進では、「私は夢を持っている」の大演説で聴衆を感動させた。 その後、何度も逮捕されたが屈せず、運動を展開。68年黒人争議を支援中に暗殺された。64年ノーベル平和賞受賞。

ダライ・ラマ14世(1935-)
1939年ダライ・ラマ13世の転生として認定され、40年4歳半の時ラマ教の聖地ラサ市に行きダライ・ラマ14世に即位。中華人民共和国成立後、51年に平和解放のチベット協定を結んだ。59年の反中国のラマ教僧侶・貴族・一般大衆が起こした「チベット反乱事件」でインドへ亡命。亡命政府を樹立し、非暴力によるチベットの解放運動を指導。世界各地を巡り、チベット問題を国際世論にアピールしている。89年にノーベル平和賞を受賞。

ジョン・レノン(1940-1980)ヨーコ・オノ(1933-)
シンガーソング・ライターいくつかのバンド活動を経て、1962年にザ・ビートルズを結成、「ラブ・ミー・ドゥ」を発表。 その後、数々のヒット曲を出し、世界中にビートルズ旋風を巻き起こした。 70年に解散するまで、リーダー的存在として活躍。 69年にオノ・ヨーコと結婚、公開ベッドインなどで反戦平和運動を展開する一方、「イマジン」などを発表。 80年、「ダブル・ファンタジー」の発表後、ニューヨークの自宅前で射殺された。

パブロ・ピカソ(1881-1973)
画家75年間も制作活動を続けた20世紀美術の巨匠。絵画のほか、彫刻や陶芸にも数多くの作品を残した。「青の時代」「薔薇色の時代」を経て、07年にキュービズムを創始、新しい絵画形式を確立する。37年にはドイツ軍のゲルニカ爆撃を告発した「ゲルニカ」を発表して話題となる。第二次大戦後は反戦・平和運動に加わって、「平和の鳩」「朝鮮の虐殺」などを描いた。有名な作品に「アルルの女」「アビニョンの娘たち」などがある。

テッド・ターナー(1938-)
CNNテレビ会長、タイムワーナー副会長広告代理店経営などを経て、1970年つぶれかけていたアトランタのUHF局を買収してテレビ局経営に乗り出す。80年ニュース専門の24時間ケーブルテレビCNNを創設。 91年の湾岸戦争報道で一躍その名を全世界に知らしめた。 85年映画会社MGMを買収。 「テレビ界の風雲児」「ケーブルテレビの王」と呼ばれる。 97年財政危機に苦しむ国連に10年間で総額10億ドルの寄付を表明。

フランク・ロイド・ライト(1867-1959) 
建築家1887年シカゴの建築事務所に入り建築学を勉強。93年26歳の時に独立したが、この年のシカゴ万国博覧会の日本館「鳳凰殿」に大きな影響を受ける。1908年の「ロビー邸」に代表される一連のプレーリー・ハウス(草原住宅)を手がけて名声を得る。20世紀美術館建築の傑作の一つとされる「グッゲンハイム美術館」など生涯約400件の建築を手掛けた。日本との関係も深く、「帝国ホテル」「自由学園明日館」等6件の作品を残した。


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僕はいつもこの言葉を福祉に当てはめてきた。
人々は障害を持つ人たちを特別な目で見る。
それはまるで障害を持つ人たちが普通の人間ではなく、常識ではないと言うように。
それは自分が常識、自分が基準で当たり前と考える健常者と呼ばれる人種のエゴ。
障害を持っていても、普通に社会で生活をする同じ人間なのだ。
ならば社会が多くの人に対応できるように変化しなくてはならない。
彼らは実際にそうさせた。
人々から特別な目で見られた人たちが、社会を変えていった。
男と女、大人と子ども、気むずかしい人と穏やかな人、
たばこを吸う人と吸わない人、経営者と従業員、
敵と味方、障害を持つ人とそうでない人。
その中に同じ社会で生きられない人がいるだろうか?
社会福祉というカテゴリーを生み出したのも彼らなら、
立派に同じ社会を生きる、世界を変えられる同じ人間なのだ。


僕はそう思う。







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