すみません、もうひとつジョブズネタで。
- ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。
それは他人の考えた結果で生きていることなのだから -
(あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。)
これもジョブズの言葉の中で好きな一節です。
今目の前にあるドグマは、誰かが考えた結果だ。それに乗っかって生きることは、他人の人生を生きて自分の時間を無駄に費やしているのと同じ事だ。
世の中にあふれるドグマに対し、自分が疑問に思ったこともひとつやふたつあるはず。
もし自分の中に違う理想があるなら、それに向かって突き進むべきなのだ。
僕はふと、仲間と15年前に始めた障害者の野外活動のことを思い出した。
当時、野外教育と福祉をつなげるなんて、一握りの人が始めていたとしても、日本全体で言えばないに等しかった。
ましてや、障害の種類や重さに関係なく誰でも参加できる野外活動なんて。
不登校や自閉症児といった特定の活動はあったけど、誰でも参加できるキャンプなんて、不可能に近いと思う人が多かったのかもしれない。
だけど僕らはやれそうな気がしていた。
あれは間違いなくドグマに捕らわれていなかった。
僕はそう思う。
仕事においても、自分たちの線を引いた範囲から逸脱したリクエストを出すと「できません」と即答してくる取引先もある。
なぜやってみないのだろう。
僕は商品提案の際に、先方が希望した仕様の他に、かならずもう一つ提案をするようにしている。
それは先方の依頼に対して自分が感じたことを形にした提案。
必ずそれが通るという訳でもないけれど、そのおかげで転職した今も以前のお客さんから継続して話をもらえている。
それってすごく大事なことなんだな~って思った。
音楽でも思い当たる節がある。
昔コピーバンドをやっていたとき、僕は完コピするということはまずなかった。
気に入らなかった部分は自分なりの弾き方でやっていた。
一つ間違えばただの頑固者と呼ばれてもおかしくない。
だけどそれが世の中に受け入れられたとき、それは新しい基準となる。
新しい基準ができたら、今度はそれを疑う。
そうすることで一歩先、二歩先をすすむことができる。
僕には到底できない芸当だけれど、言ってることはよくわかる。
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