買ってからずっと見てなかった「天国からのエール」をようやく最後まで観た。
舞台は沖縄の小さな弁当屋。
バンドを頑張る高校生たち。
しかし、島にはスタジオもない。
音を出せば苦情を言われる。
思うように練習もできない。
そんな若者たちに夢を見させてあげたい。
若者の抱く希望を摘みたくない。
そんな思いから自費でスタジオを作り無料で開放した実話が元になたストーリー。
すばらしい映画でした。
何回も、何回もぼろ泣きしました。
僕が初めてバンドを始めた中2の時。
最初に練習した場所は友達の家の経営するスナックでした。
お店の閉まっている夕方までの間、そこに入り浸って練習に明け暮れました。
その次の練習場所は、友達の家の土蔵造りのみかん小屋でした。
僕らは恵まれていた。
理解ある大人たちに囲まれ、練習場所も提供してもらえた。
だからこの映画の気持ち、よくわかります。
自分の中にはそんな昔の体験から来るものがあって、人を支えたいという気持ちは人一倍強いのではないかと思います。
それはおごりでもなく、人とはそういうものだと思うからです。
「支える」という言葉もおこがましいのかもしれません。
「一緒に生きる」と言った方がストンとくるかな。
今日の講習会でも身体障害を持つ友達が講義をしてくれました。
正直、その友達を身体障害者だと思ったことは一度もありません。
初めて会ったときからお互い「友達」という感覚でした。
「健常者と身体障害者」ではなく、「人間と人間」です。
僕も軽度ですがADHDという障害を持っています。
でもみんなは同じ「仲間」としてつきあってくれます。
それと同じです。
そう、支えているのではありません。
一緒に生きているのです。
僕は彼女に遠慮はしないし、彼女も僕に遠慮はしません。
それは健常者でも障害者でもない、同じ人間として、友達として。
学生たちは、彼女の話をどんな気持ちで聞いてくれただろうか。
障害は人ごとではない。自分たちの生まれ来る子どもたちにも可能性はある。
僕のように大人になってから気付く者もいる。
その現実とどう向き合っていくか。なにか気がついてくれれば幸いです。
さ、今日は片付けはやめて、もう寝よう。
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